2010.11.09
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再会(恩師その1)

厚沢部町立厚沢部小学校 教頭 久慈 学

前回は、この3月まで担任して子どもとのエピソードを紹介させていただいた。
 今回は、私が初任の時、だから21年前にお世話になったH校長先生との再会について書く。初任地は、全校20名程度の漁師町の小さな学校であった。

 この4月、赴任した学校にH校長から電話があった。何しろ十数年ぶりである。声を聞き、驚いた。新聞の人事異動で私の承認と異動を知ったそうだ。
 その電話の時、ぜひ一度拝顔に上がることをお約束した。しかし、時間のあるはずの夏休み中も果たせなかった。やっと10月も半ばも過ぎ、お会いすることができた。私が22才の時、H校長先生は59才。だから今年は80歳になる。先生はとても元気で、奥様もご健在。本当にうれしかった。

 H校長先生のことを強く意識するようになったのは、複数の学校を渡り歩き、そして自分も中堅になって初任の先生方と接するようになってからだ。
 多分にもれず、若気の至りで教師としてはもちろん社会人としても?マークのつく私に、校長先生は決して怒ったり、声を荒げたりすることなく育ててくれた。指導主事訪問時の研究授業の指導案検討で、他の先生方から、「分量が多い」「何をやりたいのかわからない」など酷評される中、校長先生は、
「まずは先生がやりたいようにやってごらん。そこで失敗したって、それが勉強なんだから」
というような内容で励ましてくれた。授業はやはり盛りだくさんすぎて、消化不良の惨憺たるものだった。
 やんちゃな子どもに手を余している私に
「先生、悪いことをする子どもはいるけど、悪い子どもはいないんだよ。」
と諭してくれた。
 
 運動会や学習発表会などの行事のあとは、地域中の人と職員が校長先生のお宅にお邪魔した。そこでは当然のように、奥様が手料理を振舞ってくださった。地域は漁村だったので、その飲み方も激しいものであったが。

 翻って今。学校や教師を見る目が、20年前と比べるべくもなく厳しいものとなっている。自然、若い先生方への風当たりもきつい。「失敗から学ぶ」ゆとりのない世界となりつつある。そんな中だからこそ、若い先生に「失敗してもいいぞ。そこから学ぼう。何かあったら俺が守ってやる」という気概のある管理職であれたら、と思う。
 偶然か幸いか。現任校は初任教頭や若い先生の失敗をいつも「俺が守ってやる」という校長先生に恵まれた。のびのびと仕事させてもらっている。
 私が校長先生に恵まれるのは、「天賦の才」なのだろうか。

久慈 学(くじ まなぶ)

厚沢部町立厚沢部小学校 教頭
北海道で小学校教員、今年は教頭職三年目。ニューデリー日本人学校での経験を生かし、片田舎から世界を、世界から片田舎を見つめつつ発信したいと思います。

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