これは、1969年より6年間、宮城教育大学の学長を務められた林竹二氏(1906~1985)の言葉です。
私たち教師は、「教える」という方向から授業を捉えることが多いのですが、視点を換えて「子供たちが学ぶ場」としての授業と捉えたとき、「学ぶということは、かわること」の意味が重くのしかかってくるように思います。
「果たして、今日のあの一時間の授業を通して、子供たちは変わってくれたのだろうか?」
このように教師が自問自答を繰り返すことは、とても大事なことだからです。
実際に、たった一時間の授業を通して、子供たちの変化を捉えることは、非常に難しいことです。しかし、あるひとつの単元をやり終えた後には、子供たちの成長した変化を見逃すことがないようにしなければなりません。
また、もっと些細な日常生活の中で見せてくれる子供たちの変化に、教師は敏感でなければならないと思うのです。
換言すれば、教師としてのひとつの資質は、変化を見逃さない感性をもつことでもあると考えます。
さて、9月の下旬から、私のクラスでは、国語で「マザー・テレサ」を学習しました。
最初のうちは、「孤児」という言葉の意味すら十分に理解できない様子でしたが、読み深めていくうちに、テレサの行ったことがどれほど偉大であったのかに気付くようになっていきました。協力的な保護者がDVDを貸してくれたおかげで、実際にテレサやインドの様子を、画像を通して学べたことにも大きな成果がありました。
学習の終わりに、感想文を書いてもらいました。私自身が、子供たちの心に変化が生じたのかどうかを把握するためにです。また、子供たちの心に変化をもたらすことができるような授業を、積み重ねてこられたのか否か、振り返る材料にするためでもありました。
ほとんどの子供たちは、テレサの行ったことが大きな思いやりにあふれ、素晴らしいことであったという感想を書いていました。そして、半数くらいの子供たちは、「ほんの少しでもいいから、人の役に立ちたいと思いました」といった、心の変化をのぞかせてくれるような感想を書いていました。
そんな中で、ある一人の子供に、筆の進まない様子が見られました。受け持った4月当初は、登校することにも宿題をすることにも、かすかなためらいを抱えているのではないかと心配していた子です。しかし、現在は元気に登校し、宿題も完璧にやってきています。私は、登校していることや、宿題をやってきていることは、テレサにも匹敵するような素晴らしいことではないかと話をしました。
そして書いたのが、以下のような感想文です。
「マザー・テレサの行動を見て、まねはできないけれど、宿題はできます。自分では宿題をできることを、えらいえらい・・・めっちゃえらーいと思っています。
毎日学校に来ていることも、えらいえらい・・・と思っています」
この感想文を、帰りの会で子供たちに読んで聞かせました。クラス中が、大笑いとなりました。でも子供たちはその子の変化に気付き、笑いを通してエールを送っていたのです。感想文を書いた本人も、まんざらではないような笑みを浮かべていました。
そういうクラス全体としての、成長の変化を見せてくれる子供たちが、私は大好きです。
私たち教師は、「教える」という方向から授業を捉えることが多いのですが、視点を換えて「子供たちが学ぶ場」としての授業と捉えたとき、「学ぶということは、かわること」の意味が重くのしかかってくるように思います。
「果たして、今日のあの一時間の授業を通して、子供たちは変わってくれたのだろうか?」
このように教師が自問自答を繰り返すことは、とても大事なことだからです。
実際に、たった一時間の授業を通して、子供たちの変化を捉えることは、非常に難しいことです。しかし、あるひとつの単元をやり終えた後には、子供たちの成長した変化を見逃すことがないようにしなければなりません。
また、もっと些細な日常生活の中で見せてくれる子供たちの変化に、教師は敏感でなければならないと思うのです。
換言すれば、教師としてのひとつの資質は、変化を見逃さない感性をもつことでもあると考えます。
さて、9月の下旬から、私のクラスでは、国語で「マザー・テレサ」を学習しました。
最初のうちは、「孤児」という言葉の意味すら十分に理解できない様子でしたが、読み深めていくうちに、テレサの行ったことがどれほど偉大であったのかに気付くようになっていきました。協力的な保護者がDVDを貸してくれたおかげで、実際にテレサやインドの様子を、画像を通して学べたことにも大きな成果がありました。
学習の終わりに、感想文を書いてもらいました。私自身が、子供たちの心に変化が生じたのかどうかを把握するためにです。また、子供たちの心に変化をもたらすことができるような授業を、積み重ねてこられたのか否か、振り返る材料にするためでもありました。
ほとんどの子供たちは、テレサの行ったことが大きな思いやりにあふれ、素晴らしいことであったという感想を書いていました。そして、半数くらいの子供たちは、「ほんの少しでもいいから、人の役に立ちたいと思いました」といった、心の変化をのぞかせてくれるような感想を書いていました。
そんな中で、ある一人の子供に、筆の進まない様子が見られました。受け持った4月当初は、登校することにも宿題をすることにも、かすかなためらいを抱えているのではないかと心配していた子です。しかし、現在は元気に登校し、宿題も完璧にやってきています。私は、登校していることや、宿題をやってきていることは、テレサにも匹敵するような素晴らしいことではないかと話をしました。
そして書いたのが、以下のような感想文です。
「マザー・テレサの行動を見て、まねはできないけれど、宿題はできます。自分では宿題をできることを、えらいえらい・・・めっちゃえらーいと思っています。
毎日学校に来ていることも、えらいえらい・・・と思っています」
この感想文を、帰りの会で子供たちに読んで聞かせました。クラス中が、大笑いとなりました。でも子供たちはその子の変化に気付き、笑いを通してエールを送っていたのです。感想文を書いた本人も、まんざらではないような笑みを浮かべていました。
そういうクラス全体としての、成長の変化を見せてくれる子供たちが、私は大好きです。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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