2010.08.28
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食卓の記憶(1)

埼玉県朝霞市立朝霞第十小学校 教諭 北川 誠

私はこの夏53歳になった。

最近年のせいか自分が幼なかった頃の食卓(食事)風景を思い出しノスタルジイに浸ることがある。

考えてみれば食事を一人で食べていたことはほとんどなかったことに気がつく。
もちろん、当時は牛肉やお刺身などという豪華な食材(?)が食べられるのは月に1度か2度(だいたい父の給料日や誕生日などの特別な日である。)の貧しい食卓であったが、それでも当時貴重品だった1本のバナナを喜んで幼い妹と分け合って食べた記憶は今でも思い出す。

そう考えると家族で食べる食卓は子どもが好むと好まざるに関係なく最初に経験する小さな「社会」であったのではないかとも思う。当時は食べ物は、分かち合うものだったし。自分で買い食いなどは考えられない。口に入るものはほとんどすべて親の手を通していた。

家族でお菓子を食べる。そのとき、数が少ないものがあれば、自然に人に譲る。「どうぞ、どうぞ。」儀礼ではない。「いいからお前が食べなさい。」それは、母親の優しさと共に心に残った鮮明な記憶である。


 さて、今、子どもたちは、家庭ではどんな食卓を囲んでいるのだろうか?
当然自由に大量に食べ物を手にすることができる。あと何年か後に思い出すであろう子ども時代の原風景の中に、食卓のシーンはどのように残っていくのだろう。このことは大変興味あることである。

夏休み中のある日、このコーナーで幸運にもお知り合いになった先生方とのオフ会があった。その中で話題になった(というか私が話題にしてもらった)1冊の本がある。次回は来月になってしまうがこのことを書きたいと思う。
(つづく)

学校の風景‐3 夏休みの学校。子どもたちの声は聞こえてきません。(寂)
 
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北川 誠(きたがわ まこと)

埼玉県朝霞市立朝霞第十小学校 教諭
「駄洒落」を立派な日本の文化・言葉の見立てと考え、子どもたちからは「先生 寒~い」と言われてもめげず連発してます。モットーは「花には水を人にはユーモアを」。

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