2010.08.24
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和同開珎の謎

群馬県藤岡市立鬼石小学校 教諭 大谷 雅昭

 私は日本史、特に古代史に関連した物が好きで、身近にある古墳を見に行ったり、歴史博物館・資料館などに出かけ埴輪を見たりしています。
 以前、自宅から比較的近い埼玉県秩父市の国道140号沿いに、「和同開珎」という看板を見かけ、ずっと気になっていました。
 和同開珎と言えば、中学校の歴史の教科書で「我が国最初の貨幣 和同開珎」として習ったものだからです。それが、埼玉県の山の中で見かけたものですから、きっとその名前を使った「何か」なんだろうとか、あの和同開珎とは「関係ない物」だろう、と勝手に決めていました。
 それでもやっぱり気になって仕方がなかったので、ついにこの夏、10年以上気にし続けてきた秩父の「和同開珎の謎」を調べてみることにしました。

 埼玉県熊谷市方面から国道140号を西に向かうと、秩父鉄道黒谷駅の少し手前に「和銅遺跡」と書いた大きな看板が見えてきました。そこを左に入ると、左手に秩父市指定有形文化財の聖神社があり、その駐車場に車を置きました。境内には、雅楽が流れ、早くも厳かな雰囲気を感じました。そこから、案内板に従って山道を登り下りすると、15分ほどで和銅採掘露天掘跡に着きました。そこには、高さ5メートルもある「日本通貨発祥の地」と記された『和同開珎』の大きなモニュメントが建てられていました(写真 上)。
 そのすぐ近くに、「銅洗堀」と言われる沢(写真 中)が流れています。
 なるほどと思い周辺を見ていると、その南東面にそそり立つ山(和銅山)に、二条の露天掘跡(写真 下)が山頂に向かって続いているのがはっきり見えてきました。この和銅山に残る百メ―トルを超す二条の筋は、科学的には地殻変動によって露出した秩父古成層と第三紀層の断層面(出牛黒谷断層)であり、そこで自然銅(和銅)が発見・採集されたところなのだそうです。

 歴史の重みに圧倒されたため、猛暑も忘れ、しばらくの間、1300年もの昔に思いをはせていました。身近に、こんなにも歴史的な重みのある遺跡があったことにも感動してしまったからです。
 また、説明板を読みながら、和銅を日本産の銅と勘違いしていた自分を恥じていました。和銅(熟銅=ニギアカガネ)とは、精錬を要しない自然銅のことで、だからこそ当時、大騒ぎになったわけです。
 そう考えると、現在ならば、次のような「臨時ニュース」や号外が配られたことだろうと、なぜか勝手な想像を広げてしまいました。

 武蔵の国で和銅発見!
 元明天皇の御代、慶雲5年(西暦708年)、誠におめでたい歴史的発見がありました。東国の武蔵の国の秩父郡で、何と和銅が発見されたのです。正月11日に朝廷に献上したところ、朝廷はこの上ない瑞祥と喜ばれ、国家的慶事と扱われることになりました。
 早速、元明天皇の詔勅により、年号を慶雲から和銅に改元されました。そして、天下に大赦を行うとともに、老人に賑給し、親孝行の子どもを表彰し、百官に禄を与え、諸国の郡司をそれぞれ1階級位を進めることを決定しました。さらに、武蔵の国にはその年の租庸調のうち庸を免じ、特に和銅が発見された秩父郡には庸と調を免じることにしました。
 8月10日には、我が国初の流通貨幣である和同開珎が鋳造されることになったのです。(『続日本紀』を参照)

 実に、おもしろいですね。歴史的事実からの想像は、どんどん膨らみます。
 和銅山の西には、和銅献上の祝典が挙げられたと伝えられる「祝山」があると知ると、さらに、臨時ニュースのネタを得たように思いました。

 ところで、今から10年ほど前の平成11年(1999)年1月に、奈良県の明日香村にある飛鳥池遺跡から出土した「富本銭」は、7世紀後半の天武天皇の時代に鋳造された銅銭であることが明らかになりました。これにより、和同開珎は我が国最初の通貨ではなくなりましたが、今のところ、富本銭が流通貨幣として使用されたかどうかは、明らかになっていません。したがって、和同開珎は、まだ「日本最初の流通貨幣(銅銭)」と言うことができます。
 その後、2004年には滋賀県の霊仙寺遺跡から、天智天皇の近江京時代(667~672)に使われた「無文銀銭」という銀貨が出土したというニュースもありました。

 このように、和同開珎にとって、穏やかでないニュースもあるようですが、今、和銅遺跡を訪れてみると、悠久の歴史を静寂の中にたたずむばかりでした。そんな和銅山の自然の中で、「和銅」について考え、想像を巡らすロマンを感じるとともに、長年の謎が解けて清々しい気分で帰ってくることができました。

 現地は、散策コースも整備されています。みなさんも、こんな静かな歴史の旅をしてみるのはいかがでしょうか。
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大谷 雅昭(おおたに まさあき)

群馬県藤岡市立鬼石小学校 教諭
子どもと子どもたち、つまり個と集団を相乗効果で育てる独自の「まるごと教育」を進化させると共に、「教育の高速化運動」を推進しています。子ども自身が成長を実感し、自ら伸びていく様子もつれづれに綴っていきます。

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