2010.08.23
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雑巾を手で扱う子、足で扱う子

横浜市立中田中学校 英語科 教諭 石山 等

 愛犬の散歩をしていて痛切に思います。道ばたの植え込みに捨てられたゴミの何と多いことか。それぞれの人間が各自で処理すれば街はきれいに保たれるのに、そういう努力ができない人間が多いから、街は汚れ、意識のある人々がそのツケを払って清掃活動に励むことになるわけです。「自分のゴミは自分で処理する」という実に簡単なルールが、なぜ守られないのでしょうか。情けないですね。

 学校内の美化意識も、昔に比べるとかなり落ちていると思います。ただ、ゴミの分別などに関する意識は高まっている。それは、保健委員会や美化委員会の呼びかけが功を奏しているのでしょう。私が勤めている学校では、教室のゴミを「プラゴミ」「雑ゴミ」(ティッシュや綿ぼこりなど)「紙ゴミ」(プリントの切れ端など)の三種類に分けた上で、再利用できるA4版の用紙をリサイクル用紙として別のトレイに集めています。分別は完璧ではないにしても、まあよくできている方でしょう。でも、問題は教室にプリントや紙切れが散乱していても、あまり気にする生徒がいないこと。恐らく、これはどこの学校でも似た傾向なのではないでしょうか。

 ある学校の大掃除での出来事です。普段は掃き掃除だけする床を、タワシでこすって雑巾でていねいに水拭きしようということになりました。私が見本を見せていると生徒たちもそれにならって作業を始めました。ところが、ふとある生徒を見ると、足でタワシを操って床をこすり、足で雑巾がけをしているではありませんか。もちろん何も作業をしないよりはましなわけですが、一応私はタワシも雑巾も足で扱うものではないことをその生徒に伝えました。彼は首をかしげて、「そうなのかなあ?」と怪訝な表情をしていました。タワシや雑巾を手で扱う子と足で扱う子の違いは、いったいどこから出てきてしまうのでしょう。家庭でのしつけの問題でもあるし、その子の性格の問題でもあるかも知れません。それとも、私のこだわりすぎ?現に、先生の中にも雑巾を足で扱って平気な若い人もいましたから。

ただ、面白いことに、現代っ子の全てが同じように美化意識に欠けているというわけではないのです。例えば、黒板を消すという作業を例に取ってみても、見違えるようにぴかぴかに仕上げてしまう生徒もいれば、いい加減に済ませてしまう生徒もいる。大掃除の日、床のワックスがけに興味を持って、一生懸命に頑張ってくれる生徒もいれば、ワックスがかけられた直後の入室禁止の教室に平気で入ってしまう生徒もいる。雑巾を使った後、しっかりと水洗いした上でしぼって干すことができる生徒もいれば、使った雑巾は指でつまんでそのまま雑巾干しにかけてしまう生徒もいる。こういう違いは、家庭のしつけの問題として片づけてしまっていいものでしょうか。私たち学校の教師は、事あるごとに指導をしていますが、美化意識に関する生徒の本質はあまり変わらない。もちろん、学校をあげての大々的な美化運動などが継続されれば、表面上の美化行動には変化が現れることは確かでしょう。ただ、それが美化意識の本質を変えたことになるのかどうかは分かりません。

 人間の本質はふとした動作に現れます。消しゴムのかすを大量に出してしまっても、それを平気で床に捨てることができる子は、飲んだジュースの缶を平気で植え込みに捨てることができる子かも知れません。自分の机の下にプリントが散乱していても平気な子は、飲み物の紙パックを平気で草むらに捨てられる子かも知れない。そして、そういう美化意識の欠如が家庭のしつけの問題と深く関係しているのだとしたら、今後事態は更に深刻になっていくことになります。今の中学生たちが、やがては親になり、子供をしつけることになるからです。世の中が完璧に美しくなることは無理だとしても、せめて植え込みや草むらに平気でゴミが捨てられる未来ではなくなることを祈りたいと思います。

石山 等(いしやま ひとし)

横浜市立中田中学校 英語科 教諭
52歳。4年半のブランクを経て、教育界に復帰しました。最初に担任したのが3年生の素晴らしい子どもたちで、昔の元気一杯だった自分を思い出させてくれて、心から感謝しています。

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