私が勤めている中学校は、学区にある二つの小学校と、ここ数年着実に交流を進めてきました。いわゆる「小中連携」の一環です。お互いの学校を訪問する回数はそれほど多くはありませんが、中学校に二つの小学校の先生方が見えたときには、自由な授業参観の後、研究会と称した懇談会を中学校の図書室で持ちます。中学生になった子供たちも、小学校時代の懐かしい先生方の訪問に大喜び。また、私たち中学校の教師が二手に分かれて小学校を訪問するときには、授業参観の後どちらかの小学校に全員が集まって、同じように研究会(懇談会)を実施するのです。
先日は私たちが小学校に足を運びました。前回小学校を訪問したときには、一緒に給食までご馳走になって大変感動したことを覚えています。そのときの私は、二年生のクラスに混じって給食を食べたのですが、同じグループの男の子や女の子がいろいろと気を遣ってくれて、びっくりしてしまいました。小学2年生にして、ある意味で大人の気遣いができるなんて、想像だにしていなかったからです。私が想像していた2年生は、言うことを全く聞かない手の焼けるやんちゃな子供たちでした。今回は給食はなしの授業参観でしたが、やはり低学年の授業には感嘆させられました。
中学生の授業との一番大きな違いは、そのエネルギーの大きさです。中学校が静的授業だとすれば、小学校は動的授業なのです。子供たちはとにかく発言したがります。先生の問いかけに対して、クラスのほとんどの子供の手が上がる。ところが、ここで面白いことに気付きました。手が上がった子たちが全て自分なりの答えを用意しているわけではないことです。ある子は指名されて、「わすれました」と大きな声で堂々と答えていました。これは、担任の先生が、積極的に手を挙げることの大切さを最優先にして教育している結果なのだろうと想像しました。また、答えるときの「定型」のようなものがあり、「○○です。いいですか」とやっている。指名した児童の方も「いいです」「ちがいます」の二通りの対応をはっきりした声でやっています。これは素晴らしいことだと思いました。私が中学で行っている英語の授業でも、授業中に大きな声で発言することが非常に大切なのですが、小学校の授業でも母国語を効果的に身に付け、発言力を磨くために、このような授業が欠かせないのだと思います。
思わず笑ってしまったのは、教室の一番後ろに座っていた男の子です。彼は、指名されて前に出たときに満足のいく発表ができなかったのですが、突然参観している私の方を振り向いて言うのです。「ぼくね、まえに出たら、やることわすれちゃったの」教室の前では担任の先生が一生懸命話をしているのに、私は参ってしまいました。小学校では何が起きるか分からないという面白さもあるのですね。
高学年の授業でも、感心させられることがあります。これは、担任の先生の指導力に関わるところも大きいのかも知れませんが、学級討論などは中学校よりも数段上手だということです。小学校時代にこれだけ立派な話し合いができる子供たちが、なぜ中学校に進んで黙りを決め込むのか不思議でなりません。私たち中学校側に何か考え直さなければならないことがあるのでしょうか。きちんとルールに則った議論を、整然と進めている6年生を見て、考えさせられることが山ほどありました。
小学校への英語教育の導入で、ただでさえ教材研究や児童指導で多忙を極める小学校の先生方への負担が急増しています。どうか、日本の未来を背負う若者の卵を大事に育てるためにも、無理をせず健康には十分に留意して、頑張っていただきたいと願うのでありました。他人事のような書き方をして申し訳ありません。正直言って、私にはとても小学校の先生は務まりそうにないのです。悪しからず。
先日は私たちが小学校に足を運びました。前回小学校を訪問したときには、一緒に給食までご馳走になって大変感動したことを覚えています。そのときの私は、二年生のクラスに混じって給食を食べたのですが、同じグループの男の子や女の子がいろいろと気を遣ってくれて、びっくりしてしまいました。小学2年生にして、ある意味で大人の気遣いができるなんて、想像だにしていなかったからです。私が想像していた2年生は、言うことを全く聞かない手の焼けるやんちゃな子供たちでした。今回は給食はなしの授業参観でしたが、やはり低学年の授業には感嘆させられました。
中学生の授業との一番大きな違いは、そのエネルギーの大きさです。中学校が静的授業だとすれば、小学校は動的授業なのです。子供たちはとにかく発言したがります。先生の問いかけに対して、クラスのほとんどの子供の手が上がる。ところが、ここで面白いことに気付きました。手が上がった子たちが全て自分なりの答えを用意しているわけではないことです。ある子は指名されて、「わすれました」と大きな声で堂々と答えていました。これは、担任の先生が、積極的に手を挙げることの大切さを最優先にして教育している結果なのだろうと想像しました。また、答えるときの「定型」のようなものがあり、「○○です。いいですか」とやっている。指名した児童の方も「いいです」「ちがいます」の二通りの対応をはっきりした声でやっています。これは素晴らしいことだと思いました。私が中学で行っている英語の授業でも、授業中に大きな声で発言することが非常に大切なのですが、小学校の授業でも母国語を効果的に身に付け、発言力を磨くために、このような授業が欠かせないのだと思います。
思わず笑ってしまったのは、教室の一番後ろに座っていた男の子です。彼は、指名されて前に出たときに満足のいく発表ができなかったのですが、突然参観している私の方を振り向いて言うのです。「ぼくね、まえに出たら、やることわすれちゃったの」教室の前では担任の先生が一生懸命話をしているのに、私は参ってしまいました。小学校では何が起きるか分からないという面白さもあるのですね。
高学年の授業でも、感心させられることがあります。これは、担任の先生の指導力に関わるところも大きいのかも知れませんが、学級討論などは中学校よりも数段上手だということです。小学校時代にこれだけ立派な話し合いができる子供たちが、なぜ中学校に進んで黙りを決め込むのか不思議でなりません。私たち中学校側に何か考え直さなければならないことがあるのでしょうか。きちんとルールに則った議論を、整然と進めている6年生を見て、考えさせられることが山ほどありました。
小学校への英語教育の導入で、ただでさえ教材研究や児童指導で多忙を極める小学校の先生方への負担が急増しています。どうか、日本の未来を背負う若者の卵を大事に育てるためにも、無理をせず健康には十分に留意して、頑張っていただきたいと願うのでありました。他人事のような書き方をして申し訳ありません。正直言って、私にはとても小学校の先生は務まりそうにないのです。悪しからず。
石山 等(いしやま ひとし)
横浜市立中田中学校 英語科 教諭
52歳。4年半のブランクを経て、教育界に復帰しました。最初に担任したのが3年生の素晴らしい子どもたちで、昔の元気一杯だった自分を思い出させてくれて、心から感謝しています。
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