5月の5連休に、ずっと行きたかった足利学校へ行ってきました。
なぜ、足利学校へ行ってみたかったかというと、一つは学校現場で仕事をしているので、「日本最古の学校」を見たかったことです。もう一つは、最近、論語の素読をしているのですが、よい資料が販売されていると聞いたからでした。
足利学校について、少し説明しておきましょう。
足利学校は、「日本最古の学校」「日本最古の総合大学」などと言われていますが、その創建説については、いくつかの説があります。
古くは、奈良時代の国学の遺制であるという説。平安時代初期の天長9年(832)に、小野篁が創建したという説。鎌倉時代の初期の建長元年(1249)に、鑁阿寺を開いた足利義兼(足利尊氏六代の祖)が建てたという説。また、室町時代中期の永享11年(1439)に関東管領の上杉憲実によって開かれたという説などがありますが、学校の歴史が明らかになるのは室町時代中期以後です。上杉憲実が関東管領になると、学校を整備し、学校領とともに孔子の教え「儒学」の五つの経典のうち四経の貴重な書籍を寄進し、鎌倉から禅僧の快元を招き初代庠主(しょうしゅ=校長)とし、学問の道を興し、学生の養成に力を注ぎました。その後は、代々禅僧が庠主になり、江戸時代には「板東の大学」としての役割を担っていました。
現在の建物の多くは、史跡足利学校跡保存整備事業として、10年ほどの歳月をかけて平成2年に再建され、江戸時代中期の姿を見せています。
実際に足利学校に行き、入徳門を入ると、左手に孔子像(写真 上)が立っています。もうそれだけで、勉強しなくてはいけない雰囲気になります。正面を見ると、どこかで見たことのある「學校」の文字が見えてきます。これが足利学校のシンボルとなっている有名な「学校門」です(写真 中)。その学校門をくぐると、正面に孔子廟があります。江戸時代初期に造営された建物で、孔子像と小野篁像が置かれています。300年以上の前に建てられ、中国の明時代の聖廟を模しているだけあって、大変、厳かな感じがしました。
そして、右手にまわると、再建された方丈と庫裡が建っています(写真 下)。方丈とは、学生の講義や学校行事、来客のための座敷として使用されたところです。また、庫裡は、学校の台所や食堂として使われたところです。再建とは言え、何か熱気を感じさせてくれました。方丈の南北には、落ち着いた庭園が配置され、学ぶ場はこうでなくてはいけないということを、無言で教えられたように思いました。さらに、衆寮という学生が勉強する建物を見ました。足利学校は、「自学自習」と言われますが、その雰囲気を十分に感じさせてくれるものでした。
売店で今回のめあての一つである足利市教育委員会が発行している「かな ろんご」と「論語抄」を買いました。「かな ろんご」は、論語の499章の中から100章を厳選したもので、足利市の全小学校で使っているとのことでした。「論語抄」は、論語の中から短文で孔子の思想を伝え、現代の日常生活の指標になるものを選んだもので、足利市の中学校で使っているとのことでした。前者は150円、後者は100円という、うれしくなるような値段でした。
足利学校訪問は、天気にも恵まれ、心も晴れ晴れする思いがしました。「自学自習」の心を今に伝える教育の原点とする足利学校の精神と、孔子の思想や論語の素読を現代の教育に活かし、これからを生きる子ども達を伸ばしていきたいと改めて思いました。
最後に、足利学校周辺には開祖800年の歴史を持つ鑁阿寺や、1300年の歴史と伝統を誇る足利織姫神社などもあり、街全体に活気も感じました。修養の場としても、お勧めします。
なぜ、足利学校へ行ってみたかったかというと、一つは学校現場で仕事をしているので、「日本最古の学校」を見たかったことです。もう一つは、最近、論語の素読をしているのですが、よい資料が販売されていると聞いたからでした。
足利学校について、少し説明しておきましょう。
足利学校は、「日本最古の学校」「日本最古の総合大学」などと言われていますが、その創建説については、いくつかの説があります。
古くは、奈良時代の国学の遺制であるという説。平安時代初期の天長9年(832)に、小野篁が創建したという説。鎌倉時代の初期の建長元年(1249)に、鑁阿寺を開いた足利義兼(足利尊氏六代の祖)が建てたという説。また、室町時代中期の永享11年(1439)に関東管領の上杉憲実によって開かれたという説などがありますが、学校の歴史が明らかになるのは室町時代中期以後です。上杉憲実が関東管領になると、学校を整備し、学校領とともに孔子の教え「儒学」の五つの経典のうち四経の貴重な書籍を寄進し、鎌倉から禅僧の快元を招き初代庠主(しょうしゅ=校長)とし、学問の道を興し、学生の養成に力を注ぎました。その後は、代々禅僧が庠主になり、江戸時代には「板東の大学」としての役割を担っていました。
現在の建物の多くは、史跡足利学校跡保存整備事業として、10年ほどの歳月をかけて平成2年に再建され、江戸時代中期の姿を見せています。
実際に足利学校に行き、入徳門を入ると、左手に孔子像(写真 上)が立っています。もうそれだけで、勉強しなくてはいけない雰囲気になります。正面を見ると、どこかで見たことのある「學校」の文字が見えてきます。これが足利学校のシンボルとなっている有名な「学校門」です(写真 中)。その学校門をくぐると、正面に孔子廟があります。江戸時代初期に造営された建物で、孔子像と小野篁像が置かれています。300年以上の前に建てられ、中国の明時代の聖廟を模しているだけあって、大変、厳かな感じがしました。
そして、右手にまわると、再建された方丈と庫裡が建っています(写真 下)。方丈とは、学生の講義や学校行事、来客のための座敷として使用されたところです。また、庫裡は、学校の台所や食堂として使われたところです。再建とは言え、何か熱気を感じさせてくれました。方丈の南北には、落ち着いた庭園が配置され、学ぶ場はこうでなくてはいけないということを、無言で教えられたように思いました。さらに、衆寮という学生が勉強する建物を見ました。足利学校は、「自学自習」と言われますが、その雰囲気を十分に感じさせてくれるものでした。
売店で今回のめあての一つである足利市教育委員会が発行している「かな ろんご」と「論語抄」を買いました。「かな ろんご」は、論語の499章の中から100章を厳選したもので、足利市の全小学校で使っているとのことでした。「論語抄」は、論語の中から短文で孔子の思想を伝え、現代の日常生活の指標になるものを選んだもので、足利市の中学校で使っているとのことでした。前者は150円、後者は100円という、うれしくなるような値段でした。
足利学校訪問は、天気にも恵まれ、心も晴れ晴れする思いがしました。「自学自習」の心を今に伝える教育の原点とする足利学校の精神と、孔子の思想や論語の素読を現代の教育に活かし、これからを生きる子ども達を伸ばしていきたいと改めて思いました。
最後に、足利学校周辺には開祖800年の歴史を持つ鑁阿寺や、1300年の歴史と伝統を誇る足利織姫神社などもあり、街全体に活気も感じました。修養の場としても、お勧めします。
大谷 雅昭(おおたに まさあき)
群馬県藤岡市立鬼石小学校 教諭
子どもと子どもたち、つまり個と集団を相乗効果で育てる独自の「まるごと教育」を進化させると共に、「教育の高速化運動」を推進しています。子ども自身が成長を実感し、自ら伸びていく様子もつれづれに綴っていきます。
同じテーマの執筆者
ご意見・ご要望、お待ちしています!
この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)