中学・高校とも、今年度の授業(教科の学習)が先週金曜日に終わり、今週火曜日に大掃除をして、水曜日の終業式で年度納めとなった。子どもたちの心の中にも、年度替わり、独特の気持ちの高ぶりがあるようで、桜の開花が次々と聞こえてくる季節、新しい年度の足音が聞こえ始めている。
日々の学習活動はもとより、様々な行事や生活指導、その他学校で行うすべての教育活動の根本には、「どのような生徒を育てたいか」という明確な目的がなければならない。そして、それが全教職員に認知・共有され、行動として具体化されてこそホンモノになる。
学校のどこを切ってもその「目的」が滲み出てくるような、ぶれない教育活動があってこそ、「学校のカラー」が鮮明になる。あそこは「こんな学校だよね」っていうイメージが世間一般に広まっていく。外からは、校内の細かな部分まではなかなか見えない。良くも悪くも、外に伝わる学校のイメージが、学校の評判を決める一番の要因となる。
振り返って本校はどうか? どんなイメージで見られ、世間に認知されているのだろう。
外部からの見立てや印象を推し量るのに、よく、タクシーの運転手さんや近所の人に何気なく聞いてみるという方法がある。僕も、以前別の仕事をしていたとき、始めていく会社のことを駅から乗ったタクシーの運転手さんに必ず聞くようにしていた。また、初めて訪ねるお店など、行く前にインターネットなどで調べるより、近くの人に直接「どう?」って聞いてみたりする方が当たっているということが多い。いわゆる「クチコミ」ってやつが、意外に情報伝達ツールとして深く機能していることを実感させられる。
ここで間違えやすいのは、往々にして関係者の評価やクチコミを過大評価してしまう点だ。もちろんある程度中身がわかり、より専門的な見立てが必要な場合は、その業界なり仕事をよく知っている人の評価が大切になってくる。でも、それ以前に何も知らない立場の人が判断する情報としては、全く関係のない第三者や一般の声の方が圧倒的に正確かつ的を射ている。
つまり、学校の評判を先生仲間や塾関係者、教育情報機関などに聞く前に、学校の周辺や学校のある町の人たちがどう見ているか、それをまず聞く方がいいということだ。そういった意味で、先述のタクシーの運転手さんや近所の人がどう見ているかを聞くということは大きな意味がある。
関係者や専門家に言うのなら、細かな数字や理由を並べ立てて「理論的」に説得することも可能だ。内情もある程度わかっているから、少なくとも好意的な目で見てくれる部分もある。もちろん、反対に厳しい目でチェックされる面がないとは言えないが、それはあくまで専門的な目で見たときの話で、世間一般の人はそこまで気にしない。
では一般の人にきちんとイメージを伝え、認知してもらうにはどうすればいいか。そう、理屈ではなく「感情的」「感覚的」な部分での訴え、すなわち誰にでもイメージ可能な「ビジョン」、これこそが鍵になる。専門的なことを言っても響くはずもなく、何よりもイメージ先行で「楽しそう」「これって、いいかも」と思ってもらわなければ、その先の話にはつながらない。
新学期を迎えるにあたり、今一度このあたりのことを真剣に考えてみてはどうかと思う。本校が周囲からどういうイメージで見られ、どんな評判で語られているか・・・。
いかに「めざす教育ビジョン」を伝え切れていないかに、唖然とするに違いない。もっと風通しをよくして、開かれた学校にならなければいけないと痛感する今日この頃だ。
日々の学習活動はもとより、様々な行事や生活指導、その他学校で行うすべての教育活動の根本には、「どのような生徒を育てたいか」という明確な目的がなければならない。そして、それが全教職員に認知・共有され、行動として具体化されてこそホンモノになる。
学校のどこを切ってもその「目的」が滲み出てくるような、ぶれない教育活動があってこそ、「学校のカラー」が鮮明になる。あそこは「こんな学校だよね」っていうイメージが世間一般に広まっていく。外からは、校内の細かな部分まではなかなか見えない。良くも悪くも、外に伝わる学校のイメージが、学校の評判を決める一番の要因となる。
振り返って本校はどうか? どんなイメージで見られ、世間に認知されているのだろう。
外部からの見立てや印象を推し量るのに、よく、タクシーの運転手さんや近所の人に何気なく聞いてみるという方法がある。僕も、以前別の仕事をしていたとき、始めていく会社のことを駅から乗ったタクシーの運転手さんに必ず聞くようにしていた。また、初めて訪ねるお店など、行く前にインターネットなどで調べるより、近くの人に直接「どう?」って聞いてみたりする方が当たっているということが多い。いわゆる「クチコミ」ってやつが、意外に情報伝達ツールとして深く機能していることを実感させられる。
ここで間違えやすいのは、往々にして関係者の評価やクチコミを過大評価してしまう点だ。もちろんある程度中身がわかり、より専門的な見立てが必要な場合は、その業界なり仕事をよく知っている人の評価が大切になってくる。でも、それ以前に何も知らない立場の人が判断する情報としては、全く関係のない第三者や一般の声の方が圧倒的に正確かつ的を射ている。
つまり、学校の評判を先生仲間や塾関係者、教育情報機関などに聞く前に、学校の周辺や学校のある町の人たちがどう見ているか、それをまず聞く方がいいということだ。そういった意味で、先述のタクシーの運転手さんや近所の人がどう見ているかを聞くということは大きな意味がある。
関係者や専門家に言うのなら、細かな数字や理由を並べ立てて「理論的」に説得することも可能だ。内情もある程度わかっているから、少なくとも好意的な目で見てくれる部分もある。もちろん、反対に厳しい目でチェックされる面がないとは言えないが、それはあくまで専門的な目で見たときの話で、世間一般の人はそこまで気にしない。
では一般の人にきちんとイメージを伝え、認知してもらうにはどうすればいいか。そう、理屈ではなく「感情的」「感覚的」な部分での訴え、すなわち誰にでもイメージ可能な「ビジョン」、これこそが鍵になる。専門的なことを言っても響くはずもなく、何よりもイメージ先行で「楽しそう」「これって、いいかも」と思ってもらわなければ、その先の話にはつながらない。
新学期を迎えるにあたり、今一度このあたりのことを真剣に考えてみてはどうかと思う。本校が周囲からどういうイメージで見られ、どんな評判で語られているか・・・。
いかに「めざす教育ビジョン」を伝え切れていないかに、唖然とするに違いない。もっと風通しをよくして、開かれた学校にならなければいけないと痛感する今日この頃だ。

安居 長敏(やすい ながとし)
滋賀学園中学高等学校 校長・学校法人滋賀学園 理事・法人本部事務局 総合企画部長
私立高校で20年間教員を務めた後、コミュニティFMを2局設立、同時にパソコンサポート事業を起業。再び学校現場に戻り、21世紀型教育のモデルとなる実践をダイナミックに推進中。
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