2010.03.12
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「総括」するということ

滋賀学園中学高等学校 校長・学校法人滋賀学園 理事・法人本部事務局 総合企画部長 安居 長敏

一年を締めくくる時期、いわゆる「総括」をした上で次年度に向けての「方針」をたてるのが普通だ。にもかかわらず、学校全体としてそれがきちんとできているのかどうか、少なくとも僕の見る限りでは、かなり怪しいと言わざるを得ない。

個人的にはやっているんだと思う。クラス経営の反省であったり、授業の振り返りであったり。毎年4月に新学期を迎え、基本的にはリセットできる性格の仕事なので、自分では非常にやりやすい。というか、やらざるを得ない仕事であると誰もが思っている。

しかし、これが組織全体で・・・となると、とたんにいい加減になる。鍋ぶた組織の弊害かもしれないが、管理職を除きフラットな立場であるが故に、相互監視体制が取りにくい。誰もが一国一城の主であり、周囲にはあまり頓着せず、よく言えば自己責任、悪く言えば自分勝手で、とにかく自己主張が強い。

だから、いくら組織で総括に取り組んだとて、きわめて抽象的な議論にしかならず、誰の言葉でもないような、借り物の美辞麗句が並ぶだけで、何の説得力もない。総括をした「気分」になって満足しているだけだ。

「総括」と言えば、強烈に思い出す光景がある。大学時代、茶道部に所属していた私は、2年で学生茶道連盟の理事職に就いた。一泊二日で行われる理事会は夜を徹して進行するのが通例で、最初、その理由がよくわからなかった。しかし、疑問はすぐに晴れた。理事会の後に出される文書での総括について、その言葉の一つ一つについて、それこそ「てにをは」にまで拘るような丁寧な議論がされていたのだった。

各行事にはそれぞれ目的があり、それがどこまで達成されたのか。その総括が疎かになっていては、次への行事につながらない。そのために夜を徹して真剣に議論し、総括文に「魂」を吹き込んでいく。たかが言葉の一つくらい違ったところで大きな影響はないやろう・・・。最初そう思っていた私だったが、言葉が大切なのは、その奥底に「気持ち」が込められているからだとわかり、表面上の字面を追っているだけではない議論の奥深さを知った。一人一人の思いを込めようとせんがために、結果として言葉の議論になることもあったのだ。

そんな経過を辿りできあがった「総括」は「活きて」いた。議論に参加したメンバー全員の思いが込められ、誰もが連盟という組織の中で「全員の合意」が作った「自分の意志」が反映されたものとして受け止め、より高いステップへと次の「方針」を押し上げていく原動力となるものだった。

3年で連盟の事務局を預かった時には、その経験に大いに助けられ、各行事や仲間の輪が予想を超えて充実し、組織そのものが強固になっていった。

本来の「総括」とはこういうものだろう。いろいろな大学から、代表として集まったメンバーでこれができるのだから、一つ屋根の下、同じ学校の教職員ができないはずがない。何も徹夜をしてやれとは言わないが、大切な子どもを預かる立場として、お互いがもう少し相手の心に踏み込んで議論ができないものだろうか。

どこか他人事、自分は自分と一線を画し、相手を尊重していると言えば聞こえはいいが、その実「無関心」なだけで、大事なのは自分、自分の心に踏み込んでくるな・・・といった気持ちで仕事をしているようでは、決して一つになれない。

いま必要なのは教職員が一致団結して、前向きに学校を切り拓いていくことだ。それなくして、明るい未来などあり得ない。

安居 長敏(やすい ながとし)

滋賀学園中学高等学校 校長・学校法人滋賀学園 理事・法人本部事務局 総合企画部長
私立高校で20年間教員を務めた後、コミュニティFMを2局設立、同時にパソコンサポート事業を起業。再び学校現場に戻り、21世紀型教育のモデルとなる実践をダイナミックに推進中。

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