小学校から保育園・幼稚園、そして地区・地域の今年の運動会シーズンが、そろそろ終わった頃かと思います。
ところで、運動会は何のためにやるのでしょうか。確かに、職員会議で提案された「運動会実施計画」の最初には、ねらいが書いてあります。このねらいは、どの学校のものでも、なるほどと思わせる記述となっていると思います。
しかし、その「ねらい」をそれぞれの学年の発達段階の応じて、子ども達にわかりやすく話しているでしょうか。授業では「ねらいを明確にした授業」と言われますが、学校の年間最大行事と言われる運動会のねらいを、子ども達にはっきり明確に伝えているでしょうか。そして、実施される競技や演技は、そのねらい達成のための具体的手段となっているでしょうか。
各学校では、運動会の競技や演技は、どのようにして決めているのでしょうか。私のこれまで経験では、学年や学年ブロックの教師が集まって、昨年までのものを参考に、教師集団の力量や子ども達の実態で決めています。これまでは、そうした決め方に疑問を持ちませんでした。でも、これでよいのでしょうか。
もし、子ども達に「何で、その競技や演技をやるのか」と問えば、たぶん「去年の○年生がやっていたから」とか「先生がやるって言ったから」というような答えが返ってくるでしょう。この答えは何を意味するのでしょうか。
これは、運動会に対する教師と子ども達の大きな意識のズレとなっている、ということです。運動会の練習風景でよく見かけるものに、教師は一生懸命なのに、子ども達の意欲や乗りは今一つであるというのがあります。
これは、「教科書を教える授業」と同じになってしまいます。教科書教材を覚え、ただテストがよければよいということになってしまいます。運動会では、「本番だけ一生懸命やればいい」ということになります。
今年、担任をしている5年生に「運動会は何のためにやるのか」と聞いてみました。数名の子が手を挙げ、「団が優勝するため」「一着になるため」「来てくれる人に喜んでもらうため」と答えてくれました。聞いていた子ども達も、その答えに納得した様子でした。
ところが、私はその答えに対して「違う」と、明確に否定しました。小学校低学年までならば、その時だけのがんばりを見せればよいのかもしれません。しかし、高学年の運動会の目的が、その程度では「意味がない」とバッサリと切り捨てました。
このように、「わからない」あるいは「教えられていない」のならば、何年生であろうと「きちんと教える」ことが大切だと考えています。そこで、運動会を何のためにやるのかということを2つにまとめて話しました。
(1)「今の自分の力(全力、一生懸命)の全てを出して見せる」
(2)「仲間と協力して運動会をつくる」
一つ目は個人として、今(現学年)の自分の姿を運動会という場で表現することです。それは、自身の成長であり、何着であるかという結果ではなく、その様子(成長ぶり)を来た人は見たいのだと話しました。だから、本人がやるべきことは、一生懸命に全力で競技・演技することが大切なのだと付け加えました。
二つ目は運動会の主体者になるいうことです。高学年として更に成長していくために、ただ係活動をした、一緒に応援したというレベルから、「自分が運動会をつくっているんだ」という意識を明確にするための自己評価の観点を与えました。
こうして、本校の運動会当日を迎えました。その日はあいにく、曇り空に始まり、途中にわか雨に見舞われて、ずぶぬれになりながら表現(ダンスや民舞)を踊り、閉会式近くには晴れ間がのぞくという天候の中で行われました。
どのような条件であろうと、「今の自分の力の全てを出し切り、仲間と協力して運動会をつくった」という実感を持ってくれたものと思っています。
こうした学びの姿勢を創り、すべての生活の中で活かしていきたいと思っています。
ところで、運動会は何のためにやるのでしょうか。確かに、職員会議で提案された「運動会実施計画」の最初には、ねらいが書いてあります。このねらいは、どの学校のものでも、なるほどと思わせる記述となっていると思います。
しかし、その「ねらい」をそれぞれの学年の発達段階の応じて、子ども達にわかりやすく話しているでしょうか。授業では「ねらいを明確にした授業」と言われますが、学校の年間最大行事と言われる運動会のねらいを、子ども達にはっきり明確に伝えているでしょうか。そして、実施される競技や演技は、そのねらい達成のための具体的手段となっているでしょうか。
各学校では、運動会の競技や演技は、どのようにして決めているのでしょうか。私のこれまで経験では、学年や学年ブロックの教師が集まって、昨年までのものを参考に、教師集団の力量や子ども達の実態で決めています。これまでは、そうした決め方に疑問を持ちませんでした。でも、これでよいのでしょうか。
もし、子ども達に「何で、その競技や演技をやるのか」と問えば、たぶん「去年の○年生がやっていたから」とか「先生がやるって言ったから」というような答えが返ってくるでしょう。この答えは何を意味するのでしょうか。
これは、運動会に対する教師と子ども達の大きな意識のズレとなっている、ということです。運動会の練習風景でよく見かけるものに、教師は一生懸命なのに、子ども達の意欲や乗りは今一つであるというのがあります。
これは、「教科書を教える授業」と同じになってしまいます。教科書教材を覚え、ただテストがよければよいということになってしまいます。運動会では、「本番だけ一生懸命やればいい」ということになります。
今年、担任をしている5年生に「運動会は何のためにやるのか」と聞いてみました。数名の子が手を挙げ、「団が優勝するため」「一着になるため」「来てくれる人に喜んでもらうため」と答えてくれました。聞いていた子ども達も、その答えに納得した様子でした。
ところが、私はその答えに対して「違う」と、明確に否定しました。小学校低学年までならば、その時だけのがんばりを見せればよいのかもしれません。しかし、高学年の運動会の目的が、その程度では「意味がない」とバッサリと切り捨てました。
このように、「わからない」あるいは「教えられていない」のならば、何年生であろうと「きちんと教える」ことが大切だと考えています。そこで、運動会を何のためにやるのかということを2つにまとめて話しました。
(1)「今の自分の力(全力、一生懸命)の全てを出して見せる」
(2)「仲間と協力して運動会をつくる」
一つ目は個人として、今(現学年)の自分の姿を運動会という場で表現することです。それは、自身の成長であり、何着であるかという結果ではなく、その様子(成長ぶり)を来た人は見たいのだと話しました。だから、本人がやるべきことは、一生懸命に全力で競技・演技することが大切なのだと付け加えました。
二つ目は運動会の主体者になるいうことです。高学年として更に成長していくために、ただ係活動をした、一緒に応援したというレベルから、「自分が運動会をつくっているんだ」という意識を明確にするための自己評価の観点を与えました。
こうして、本校の運動会当日を迎えました。その日はあいにく、曇り空に始まり、途中にわか雨に見舞われて、ずぶぬれになりながら表現(ダンスや民舞)を踊り、閉会式近くには晴れ間がのぞくという天候の中で行われました。
どのような条件であろうと、「今の自分の力の全てを出し切り、仲間と協力して運動会をつくった」という実感を持ってくれたものと思っています。
こうした学びの姿勢を創り、すべての生活の中で活かしていきたいと思っています。
大谷 雅昭(おおたに まさあき)
群馬県藤岡市立鬼石小学校 教諭
子どもと子どもたち、つまり個と集団を相乗効果で育てる独自の「まるごと教育」を進化させると共に、「教育の高速化運動」を推進しています。子ども自身が成長を実感し、自ら伸びていく様子もつれづれに綴っていきます。
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