2009.10.09
  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

人生の「本当の勝利者」は誰?

滋賀学園中学高等学校 校長・学校法人滋賀学園 理事・法人本部事務局 総合企画部長 安居 長敏

同期より少しでも早く出世しようと、上司に媚を売るサラリーマン。近所の同級生に負けまいと、せっせと我が子に塾通いを強制する母親たち。

家族も顧みず、残業も厭わず、ひたすら真面目に努力すれば、仕事はうまくいくのか・・・

ソフトブレーン創業者・宋文洲氏が、日本型終身雇用と格差、業績とモチベーション、世論と真実、幸せの意義、差別と善悪などについて直言した本、『仕事ができる人は「負け方」がうまい』。

そのまえがきには、

仕事ができる人も幸せになる人も、決して勝負にこだわる人ではなく、むしろ自らうまく負けている人なのだ・・・

とある。

大学4年の時、なかなか私学教員(公立は嫌だった)の道に恵まれず、趣味の延長線上で行くことに決めていた、某印刷会社のデザイン職。年が明け、偶然にも理科の前任者が退職したというので、声をかけてくれた県内の私立高に行けることになり、念願の教壇デビュー。

以後、20年・・・。山あり谷ありの毎日ではあったが、それなりに楽しく、前向きに過ごしてきた。いい先輩や同僚にも恵まれ、自分が成長していくのが実感できる毎日だった。

そこで降ってわいた、地元でラジオ局を作るという話。

42歳、家族もあり、よく考えれば無謀とも言える決断だが、何もないところから創り上げる魅力に惹かれ、飛び込んだ。

子どもの頃、いちばんなりたかった仕事は「バスの運転手」。あんな大きなバスをいとも簡単に操り、運転するのってカッコイイやん!(もちろん今でも憧れの仕事なんだけど・・・)

今思うと、一番やりたかったことなのに、世間体やなんかで実現できなかった自分へのチャンス到来、ここで思い切らなければどうする・・・

そんな気持ちが、学校を辞めるという決断をさせてくれた。

で、ラジオ局の立ち上げに取りかかり、何とか開局までこぎ着けることができた。「滋賀県初」と評されるなど、その世界では一応の脚光を浴びることができた。

ところが、収入面や生活の実態はボロボロ。昼夜のサイクルが狂い、カレンダーとは無縁の勤務で、表向きの世界と現実の強烈なギャップ。というより、これでは家族が生きていけない・・・

泣く泣く、その世界から足を洗い、パソコンの設定業務やウィルス除去、ソフトウェアの操作指導などを戸別に訪問する仕事を、個人事業としてやり始める。

Yahoo!BBやeoが流行りだした頃、インターネットの世界が急速に広がる時期にピッタリはまり、こなしきれないほどの仕事があり、毎日県内を車で走り回っていた。

実は、教壇に戻った今、ずっと教職に就いている先生たちや、若い先生を見るたびに、このときの経験が、今の自分にとって一番大きかったと確信している。(このことはぜひ語りたい! 後日、また改めて書こう)

そんな中で、あるところから声がかかり、経験を活かしてもう1つラジオ局を作ってくれないかと。

満足のいくところまでラジオの仕事ができていなかったこともあって、二つ返事で、その仕事を引き受け、しばらくはパソコンの仕事と両立させながら、何とか県内に2つ目のラジオ局を開局。

放送を開始し始めたら、パソコンの仕事は当然できず、またもや例の昼夜逆転、休日なしの世界へ・・・

いま、子どもたちから「DJ」とよばれるゆえんはここにある。

滋賀学園との「ご縁」は、ある日の自分の番組のゲストコーナーに、時の副校長先生と中学教頭先生が「中高一貫校のすばらしさ」を紹介しに来て下さったところから始まる。

で、いまこの学校で4年目を迎え・・・

ちょっと長くなったので、続きはまた次回書くことにしよう。

安居 長敏(やすい ながとし)

滋賀学園中学高等学校 校長・学校法人滋賀学園 理事・法人本部事務局 総合企画部長
私立高校で20年間教員を務めた後、コミュニティFMを2局設立、同時にパソコンサポート事業を起業。再び学校現場に戻り、21世紀型教育のモデルとなる実践をダイナミックに推進中。

同じテーマの執筆者
  • 樋口 万太郎

    京都教育大学付属桃山小学校

  • 大谷 雅昭

    群馬県藤岡市立鬼石小学校 教諭

  • 川村幸久

    大阪市立堀江小学校 主幹教諭
    (大阪教育大学大学院 教育学研究科 保健体育 修士課程 2年)

ご意見・ご要望、お待ちしています!

この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)

pagetop