2009.09.25
  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

「学校」とは、「教師」の役割とは・・・

滋賀学園中学高等学校 校長・学校法人滋賀学園 理事・法人本部事務局 総合企画部長 安居 長敏

教師とて、ある意味サービス業なわけで、生徒や保護者に対し「教育」という名の商品を提供している。

相手にしているのは「人」であって、機械とかそういうモンじゃない。生身の、生きた人間と対峙し、時に相手の嫌なことを、指導という名の下に、強制的にやらせることも必要だ。

もちろんその時には、できるだけ嫌な気分にさせないように、本来嫌なことであっても、嫌だと感じさせないようなテクニックを駆使し、ある意味、気分よくやらせるくらいの力量がほしい。

それは、まさに「営業」に近い。
いかに相手に商品を買ってもらい、使っていただくか・・・

向こうが求めるものを差し出すのはたやすいが、(それすらできない鈍感人も、現実にはいるが)あえて必要としないもの、さして欲しいと思っていないものを買っていただいてこそホンモノだ。

相手の価値観をも覆すくらいの迫力がなければ務まらない。

言動や態度から、相手の気持ちや考えを読み取り、どう打てば、どう響くかを予想しながら、対応を組み立てていく。

棋士が何十手先まで読んで駒を動かしていくように、緻密なココロの計算というか、研ぎ澄まされた感覚と動物的な勘、それに人間らしい感情が加わった、連続的な瞬時の判断が必要だ。

加えて、それを軽やかに明るくこなさなければ意味がない。

しかめっ面して、悶々とした硬い表情でやっていては、いくら中身や対応が素晴らしくても、好意的には受け止めてもらえない。むしろ敬遠される場合の方が多いだろう。

いくら教師といえども、今の時代、職人気質でやれるほど、その専門性が認められているとは言い難い。

相手に迎合するわけではないが、相手を認め、尊重し、時には合わせ、必要な場合には強い牽引力で相手をリードし、方向転換させ、硬軟織り交ぜたオールマイティーな対応をして初めて成り立つような・・・

そんな「難しい」ところが、教育現場なのだ。

白であって、黒でもある
でも、決してグレーじゃない

相反する価値観がぶつかり合い、どちらも正しいという奇妙な世界。

歩み寄ることがあっても、そこに新しい価値観が生まれないことには、どちらでもないただの妥協の産物、濁った色になるだけだ。

鋭角的な柔らかさ
優しい強さ
重厚な軽やかさ
力強い甘え
心地よい痛み

正反対のものが見事に調和し、
そのどちらも失わないピュアな空間。

何よりもその格調高さを追求したくなる、
荘厳な輝きを秘めた未来。

それを創れるのが「教師」だ!

そんな教師と子どもたちの真剣勝負の場。
それが「学校」だ!

安居 長敏(やすい ながとし)

滋賀学園中学高等学校 校長・学校法人滋賀学園 理事・法人本部事務局 総合企画部長
私立高校で20年間教員を務めた後、コミュニティFMを2局設立、同時にパソコンサポート事業を起業。再び学校現場に戻り、21世紀型教育のモデルとなる実践をダイナミックに推進中。

同じテーマの執筆者
  • 樋口 万太郎

    京都教育大学付属桃山小学校

  • 大谷 雅昭

    群馬県藤岡市立鬼石小学校 教諭

  • 川村幸久

    大阪市立堀江小学校 主幹教諭
    (大阪教育大学大学院 教育学研究科 保健体育 修士課程 2年)

  • 深見 智一

    北海道公立小学校 教諭

ご意見・ご要望、お待ちしています!

この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)

pagetop