2009.05.20
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読書の再考

群馬県藤岡市立鬼石小学校 教諭 大谷 雅昭

 読書の大切さは誰でも感じ、どこの学校でも「読書推進」を掲げていると言ってもよいでしょう。具体的には、国語の授業や読み聞かせ、読書月間・読書週間を設けるなどしていろいろな種類の本を読む機会をつくり、読書好きな子どもを育てるような工夫をしています。

 読書は、何でよいのでしょうか。これもいろいろと言われていますが、たとえば、
(1)様々なノンフィクションやフィクションの世界に触れ、心が豊かになる。
(2)自分のペースで読むことができ、一生ものの知識が得られる。
(3)広い世界や自然を知り、じっくり味わうことができる。
(4)学校教育との直接の関わりでは、言葉の力・抽象的思考力・感動する力・創造力・表現力を伸ばすことができる。
など、枚挙にいとまがないぐらいですね。

 私は読書のよさを、別のところに感じることがあります。それは・・
 今の世の中は、情報氾濫時代であり、人間は受け身にまわらざるをえない状況にあると言ってもよいと思います。主たる情報メディアであるテレビは、放送局のある意図によって内容構成され、それがすべてであり、真実であるかのような錯覚さえ覚えてしまいます。インターネットは、ある程度の主体的な検索や双方向の情報交換もできますが、その中には悪意のある情報も数多く含まれて危険性もあります。それに対して、読書は自分で読みたいものを選んで読めるという選択の自由があるとともに、基本的に良質な情報に限られているという安心感があります。そして、何よりも自分自身の想像や思考の世界を自由に拡げ、他者と肯定的な交流もできるという楽しさがあります。

 ところで、第51回学校読書調査では、小学生の1ケ月の読書量は7.7冊だそうです。
「読書万巻を破す」という言葉がありますが、1冊より10冊、10冊より100冊・・と、より多くの本を読むことで、既知の分野が拡がり、自分の考え方を豊かにし、人生の楽しみを得ることになります。つまり、読書によって人間の厚みや深みができ、その人の世界が無限に拡がると言うわけです。
 一方、教育の根本・原点は、昔から「読み」「書き」「そろばん」と言われてきました。その第一は、「読み」なのですから、『読書は教育の源』と言っていいと思います。

 さて、教師はよく「教えるのは得意だが、教わるのは苦手だ」と言われます。子ども達には、「読書をしなさい」「一日〇分読書」「長期休業中は、毎日読書」などと言いますが、果たして教師自身は何冊の本を読んでいるでしょうか。
 確かに多忙を極める教育現場の状況では、なかなか本が読めないという実態もあります。だからと言って、一月に一冊も読まないというのは、「教育の源が涸れる」ことになると思います。
 本屋に行くと、教師向けの教育書コーナーの充実に驚かされます。それだけ需要があると言い換えることもできると思います。現況の教育的困難の中、全国のすばらしい実践が紹介されることは、現場教師にとって喜ばしいことです。しかし、ハウツウ本ばかり読んで、読書をしたつもりや教材研究をしたつもりになってはいけないと思います。

 私は、教師として、人間として、人生を豊かにしてくれる本を読むべきだと考えます。子ども達に本当の読書の楽しさを伝え、子ども達を伸ばすためにも、「教師の読書の必要性」も強く感じている今日このごろです。

大谷 雅昭(おおたに まさあき)

群馬県藤岡市立鬼石小学校 教諭
子どもと子どもたち、つまり個と集団を相乗効果で育てる独自の「まるごと教育」を進化させると共に、「教育の高速化運動」を推進しています。子ども自身が成長を実感し、自ら伸びていく様子もつれづれに綴っていきます。

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