2008.07.29
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私が教師を辞めた理由(その3)

欧風カレー専門店『アルパッシェ』オーナー 高柳 新

前回までに書いた『私が教師を辞めた理由』は、自分の考えていたことと現実とのギャップに関することでした。しかし、3つ目の理由は私自身の弱点に関することです。

 小学校でも英会話の授業が必修となるのは時代の流れから考えて、当然だと思います。私が教師として勤めていた新座市では、英語特区として、数年前から全学年とも週に1時間、英会話の授業がありました。担任とネイティブな発音のできるアシスタント・イングリッシュ・ティーチャー(以下AET)がチーム・ティーチング形式の授業を行うのです。内容としては、ネイティブな発音にふれさせる英会話を重視したものでした。

 私は学生時代、英語は劣等生でした。高校時代、英語の成績はいつも、2か1でした。英語の先生が、私が他の教科では学年のトップクラスであったことを知ったとき、ものすごく驚いていたことを覚えています。とくに、ネイティブな発音の英語を聞くと、何を言っているのか、かいもくわからず、逆に気分が悪くなるほどでした。進路指導の先生からは
「高柳君は、英語が普通くらいにできれば、色々な大学に行けるだろうになぁ。」
と言われました。小学校の時から、何を言っているのかわからない英語の歌は大嫌いでした。それは、大きくなるにつれ、さらに激しくなり、まさに『個人鎖国』状態だったのです。小学校の教師を選んだのも、英語がないということが大きな理由のひとつでした。

 そんな私が、英会話の授業をしなければならなくなったのです。しかし、それでも私は懸命でした。研究授業にも積極的に取り組み、指導課の先生からは
「年配の先生方が、みんな高柳先生のように取り組んでくれたらいいのに。」
という評価もいただきました。本当のことを知らない先生からは
「高柳先生は、本当に英語が好きなんですね。」
とも言われました。実際には、この英会話の授業が苦痛であり、授業のある日は、本当にお腹が痛くなりました。真実を知っている先生は、朝の私の顔色を見て、英会話の授業のある日がわかったそうです。子どもの前では明るく、楽しそうに授業を行っていても、AETの話す英語は全くわからないのですから当然です。
 ベテランの先生の中には、適当にやってればいいという人もいましたが、私には『適当にやる』ことはできませんでした。『適当にやる』こともできず、かといって英会話もできない(英語がどうしても好きになれない)ジレンマが日に日に強くなっていきました。私には、私のように英語が大嫌いで、英語のヒアリングができない人間が、子どもたちに上手に英会話を教えられるとは思えなかったのです。
 それが、私が教師を辞めた3番目の理由でした。

高柳 新(たかやなぎ はじめ)

欧風カレー専門店『アルパッシェ』オーナー
四半世紀の小学校教師経験と小学生卓球チーム指導者として全国大会の出場経験。そして現在は、学校を外から見ることのできる立場を生かし、現場の先生方を応援したいですね。

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