2008.07.15
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私が教師を辞めた理由(その2)

欧風カレー専門店『アルパッシェ』オーナー 高柳 新

前回、私が教師を辞めた第1の理由を書きました。その理由は子どもに対してのことでした。そして、今回書く第2の理由は学校構成員の一人としてのことです。

 私は小さい時から、みんながすることや高い評価を受けていることでも、それを真似をすることが大嫌いで、いつもフロンティアであり、オリジナルであることを目指してきました。それは教師になっても変わることはありませんでした。ただ、短所として、自分一人で何でもしようとする面があり、他の先生に手伝ってもらうことが苦手な教師であったことも事実です。
 30代の後半からは学年主任として各行事や学年での取り組み事、そして『総合的な学習の時間』などで常に新しい試みに挑戦してきました。また、市ではコンピュータ教育の指導者として先生方の研修会の講師も務めていました。その場その場では、それなりの評価も受けてきたつもりです。しかし、私のしたことは後に繋がらないことが多かったのです。私がその学年で新しく計画し、実行したことは、次の年に先生のメンバーが替われば、それは行われないのです。
「あれは高柳先生の学年だからできたこと。」
「高柳先生がいなきゃ、そんなことしません。」
「そんな大変なことは私たちには無理です。」 
何度、そんな言葉を聞いたでしょうか。そして、自分がしてきたことに疑問を感じるようになっていたある日、教頭先生からこんなことを言われたのです。
「高柳先生は、ほんとうに職人だよね。昔の学校には必ずそんな人がいたよなぁ。でも、今はほとんどいなくなった。市でも、もう、あなたくらいだろうなぁ。僕はそんな先生が好きだけどね。でも、これからの時代、職人の先生が必要かどうかわからないけど…。」
私は、教師としてプロでありたいと強く思っていました。私にとって、プロフェッショナルという言葉と職人という言葉はイコールです。つまり、職人であることが自分の目標であったわけです。しかし、教師が職人であることが必要とされないなら、極端に言えば、自分も必要ないことになります。
自分のしたことが後に繋がらないのだとすれば、それはただの独りよがりです。学校のためになると頑張っていたつもりでしたが、私はどこかで道をまちがったのかもしれません。少なくとも私が造り上げたものは、その場だけで終わってしまうのですから。
 それが教師を辞めた第2の大きな理由でした。

高柳 新(たかやなぎ はじめ)

欧風カレー専門店『アルパッシェ』オーナー
四半世紀の小学校教師経験と小学生卓球チーム指導者として全国大会の出場経験。そして現在は、学校を外から見ることのできる立場を生かし、現場の先生方を応援したいですね。

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