2016.09.14
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ふだんから、もっと意識して「ことば」を使おう

「ことば」というものに対して、その重要さを改めて感じさせられることが何度もありました。

滋賀学園中学高等学校 校長・学校法人滋賀学園 理事・法人本部事務局 総合企画部長 安居 長敏

最近、仕事環境や立場、バックボーンの異なる方々と出会う機会が増え、いろいろな気づきをいただいています。

今後の展開に関わるアイディアはもちろん、モノの見方や考え方、人間関係など、ふだんの環境では知り得なかったことがダイレクトに伝わってきて、大きな学びに繋がっています。
ありがたいことだと思っています。
そんな中、「ことば」というものに対して、その重要さを改めて感じさせられることが何度もありました。
具体的な出来事というか、特別な何かがあったわけではありません。ただ、さまざまな人の発言や意見交換を通して、妙に「ことば」が気になって仕方ありませんでした。
結論から言えば、話しことば、書きことば、そのいずれにしても「使うときの配慮」(使い方、使う意味・・・)が大切であり、ふだんから「もっと意識してことばを使う」必要があるということです。
何気なく放ったひと言・・・
言った側の真意が相手にキチンと伝わらず、誤解されることはよくある話です。
時間が十分にあって、後で議論し「あぁ、そういうことだったのか」と納得できればいいですが、多くの場合そのままになってしまっています。
報告書や手紙、メモなどで、あまり気を留めずに使った単語・・・
書き物に慣れている方、仕事上たくさんの報告書を書かざるを得ない方、行政関係の方なら、どんな言い回しが適切か、逆に使ってはいけない表現だとか、そういうことの訓練をある程度してきておられます。
しかし、多くの人が、ふだんの生活の中では、さほど気にせず、その場の思いつきで書いたりしています。
使った「ことば」が、どういう意味を持って相手に伝わっていくか。
時代の流れで、「ことば」のもつ重みが薄れ、どんどん簡略化、省略化され、テキトーに使っても何の違和感もなく、むしろその方がイケテルみたいな感覚は、どう考えてもおかしいことです。
「ことば」を正しく、丁寧に使わないから、意思疎通が十分に図れず、人間関係が希薄になり、表面やその時の気分で相手を判断し、深くつながれず、信じられないと愚痴を言い、気の合う者だけの戯言で気を紛らわせ、そのくせ自分をわかってほしいと常に甘え・・・
いまの社会で起こっているさまざまな問題の根底に、コミュニケーションの道具である「ことば」を、我々自身が「軽視している」ことがあるのではないかと強く思います。
「言霊」というと、ちょっと意味合いが違うかもしれませんが、それほどまでに影響力をもっている「ことば」。
その意味や使い方、使う場面など、過去から受け継がれている文化的な側面も踏まえ、もっと大切に、生活を豊かに彩る道具として、正しく、丁寧に、しっかり意識して使っていきたいと、改めて思います。
もちろん、教育現場にいる私たちは、なおさらそのことをしっかりと心に留め、日々の生活を送らなければなりません。

今回で、つれづれ日誌のレギュラー執筆をいったん離れます。これまでお読みいただき、ほんとうにありがとうございました。

またどこかでご縁がありましたら、お目にかかりましょう。

安居 長敏(やすい ながとし)

滋賀学園中学高等学校 校長・学校法人滋賀学園 理事・法人本部事務局 総合企画部長
私立高校で20年間教員を務めた後、コミュニティFMを2局設立、同時にパソコンサポート事業を起業。再び学校現場に戻り、21世紀型教育のモデルとなる実践をダイナミックに推進中。

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