2008.05.21
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心の架け橋になりたい―先輩から後輩へ受け継がれる放送部の活動

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長 野村 泰介

瀬戸内海に浮かぶ緑の多く穏やかな空気の流れる島、長島。この長島にはハンセン病の国立療養所施設、長島愛生園、邑久光明園があります。ハンセン病はかつて「らい病」と呼ばれ、長い間、不治の病として、そして強い伝染性があると信じられていました。その患者は隔離を規定したらい予防法のため、一般社会から強制的に隔絶された生活を送っていました。長島にある2つの療養施設も患者隔離のために設置されたものでした。戦後、特効薬の発明によりハンセン病は不治の病ではなくなります。研究が進み、それほど感染力が強くないことも明らかになります。しかし隔離を規定したらい予防法は残り、社会のハンセン病患者に対する目は冷たいものでした。ようやくらい予防法が廃止されたのは1996年。

私の勤務する山陽女子高校の放送部はらい予防法廃止前、まだ患者に対する差別の意識が残っていた15年前から長島愛生園のハンセン病元患者の方との交流を続けています。

1993年、皇室主催の歌会始、あるハンセン病元患者の作品が入選しましたが、体調不良のため会に出席できず、そのために入選歌が朗詠されないということが起きました。そのことを知った当時の放送部員が長島に渡り、70歳を過ぎたそのハンセン病元患者の方の無念の思いを聞き、宮内庁への取材を行い、ラジオ番組を制作、これを全国高校放送コンテストに出品しました。この作品は全国優勝し、大きな反響を呼びました。このことがきっかけとなったのか、翌年、宮内庁は欠席者の歌を朗詠するよう方針を変えました。

このときから15年、放送部では代々、その元患者を訪ね交流を続けています。私も2004年から3年間放送部の顧問として何度か長島愛生園に足を運びました。その3年間で感じたこと。

長島へ行くときのメンバーは1年生から3年生までの放送部員。3年生はもう何度か訪問して元患者さんとも親しく話しをしています。しかし1年生はたいてい黙ったまま。3年生の多くは「最初は島のことも病気のことも何も知らなかったから、不安だけどただ先輩についていっただけといった感じ。でも何度も行っているうちになんだかおじいちゃんみたいな存在になってきた。」と言っています。最初は何だかよくわからないまま行った長島も、先輩と共に何度も足を運ぶうちに問題意識が芽生えてくる。そしてその思いを後輩へ伝える立場へを成長して行く。実にすばらしいことではないでしょうか?

数年前、熊本県のホテルでハンセン病元患者に対する宿泊拒否事件が問題になりました。まだまだ偏見や差別が完全になくなったとは言い切れません。そのような中で放送部で続く先輩から後輩へ受け継がれるハンセン病問題啓発活動。2006年に制作したビデオ番組の中では「山陽学園と長島愛生園の心の架け橋になりたい」と締めくくられています。この活動をいつまでも継続させていって欲しいと思います。

リンク先は「映像コンテスト デジタル岡山グランプリ」。準グランプリ作品として山陽女子高校放送部制作「心の架け橋になりたい―山陽学園と長島愛生園の70年」がありますので是非、ご覧ください。
http://gyoumu-info.libnet.pref.okayama.jp/grandprix/2006/index.html

写真は長島の様子
CIMG1493.JPG

野村 泰介(のむら たいすけ)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。

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