2007.11.13
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食べることくらい、学校の役割

東京都 栄養教諭 宮鍋 和子

先日、あるお母さんから「食べることくらい楽しくしたい。嫌いなものは、ほかに代わるものを食べればいいんだから、食べたくないものは食べなくてもいい」というような声を、子供の授業の感想用紙に(子供に)書かせて提出してきました。

前々から、偏食の多い子で、給食だけでなく、授業などの取り組みの最中にも、ほかのこのやる気をそぐような発言を頻繁に口にするという話を担任から聞いていたのですが、感想用紙をみて、納得しました。

給食は、子供たちの好きなものばかりはでません。先生方がよく「お弁当だと楽でいいわぁ。何もいわなくても全部食べるし、片付けもないし」とおっしゃいます。毎日の給食の時間に、先生方がどれだけ神経を使われているのかを察します。

何でも好きなことだけやりたいのなら、学校そのものが必要ありません。学習塾もありますし、さまざまなお稽古事もあります。なのになぜ、「学校」という組織の中に子供たちは置かれるのでしょうか。それは、「社会性」を学ぶためだと思います。我慢すること、他人を思いやること、自分や人のために努力することなどなど、一人では学べないことを学ぶのが学校です。「食べることくらい」といいますが、「食べる」とは、人が生きていくための要です。「食べること」が自由になりすぎた結果、国は「食育基本法」などという法律まで作らなくてはいけない事態になった。「食べること」は自由でいいのか?生活に対する基本的な発想が「食」には現れるように思います。

給食だけでなく、授業を妨害するような発言を繰り返すこの親子にどのように働きかけをしていったらよいものか、大きな課題となっています。

宮鍋 和子(みやなべ かずこ)

東京都 栄養教諭
定時制高校、聾学校(高・専)、中学校と勤務し、2007年春より小学校に勤務することになりました。学校給食を通して、子どもたちと一緒に、成長できたらと思います。

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