2015.06.05
  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

子ども時代に生涯忘れられない思い出作りを -原体験から原風景へ-

静岡福祉大学子ども学部 教員 橘田 重男

子どもにまつわる諺に「三つ子の魂百まで」があります。これは「幼児の性質は一生変わらないもの」という意味です。また、「雀百まで踊り忘れぬ」は「幼い時に身に付いた習慣は年をとっても身から離れない」という意味です。つまり幼少期に身に付いたことは一生ものであるということです。

 

子どもは遊びを通して、日常生活の中でいろいろな出来事にまつわる想像と結びつけて、子ども時代の原風景を形成します。即ち、遊びが原体験を育みます。実体験の印象に加え、子どもならではの想像力は、秘密基地のように自分達だけの世界を創り出し楽しむようなものから、竹藪に囲まれ怖いけれども気になるお化け屋敷のようなものまで広がります。その場所での体験は特に印象的で、大人になっても忘れられないものです。

 

そうした遊びには、まず自由に遊び回れる空間が必要です。それは、決して大人によって用意されたものではなく、自分たちの思いのままに気の向くままに浸れる所です。日常生活を送る身近な地域の環境の中にも冒険的要素があふれています。日常の中にありながら、その空間では自分達だけの非日常感覚を味わえるかけがえのないスペースなのです。

 

そこでは未知のものに触れるようなワクワク感やドキドキ感が味わえ、時には擦り傷を負ったり虫に刺されたりしながらも、その特別な場所へのつながりに強い思いを持ち、遊びの体験を積めます。加えて自由に夢中になれる時間が必要です。それはその空間で自分達の自由な時間として過ごすひとときです。時間の経過を気にすることなく、自由に目一杯遊べるかけがえのない時間です。

 

例えば、私の体験では夏休みの早朝のクワガタ捕り、夕方暗くなるまでの田んぼの野球、神社の境内でのかくれんぼ、鬼ごっこ、缶蹴りなど様々な光景が、何十年経っても鮮やかに甦ってきます。子ども時代は、時間がゆったり流れていたような気がします。

 

一方で、現在の子ども達は、忙しくて遊ぶ時間もないと言われています。小学生以上は、学習塾や習い事、スポーツ団活動などの予定が平日から休日に至るまで詰まっています。園児でも、習い事をする子が増えています。残念ながら遊びの時間が入り込む余地がなくなっています。加えて体験を共有する仲間があって初めて本来の遊びとなるのに、仲間は他の予定がある。特に異年齢の遊び仲間はなく、学校での同級生やクラスメイトとの関わりが中心になっている。

 

かつてのように仲間とのトラブルで、けんかをしたり仲直りをしたりするような、実体験を重ねて人間関係を学ぶ機会も失われています。そういう今だからこそ、本来の思いやりや良心を兼ね備えた大人の人間になるために、子ども時代に「三間(空間・時間・仲間)」を通した原体験が大切ではないかと思います。

橘田 重男(きった しげお)

小学校25年、短期大学幼児教育学科5年勤務後、現職。ライフワーク:ユーモアの感覚、シンガーソングライター:ナンジャモンジャ、走歴34年長距離ランナー(現在、壮年ジョッガー)。所属学会:日本笑い学会・日本子ども学会・日本保育学会他。

ご意見・ご要望、お待ちしています!

この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)

pagetop