2015.04.13
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されど教育・・・・

静岡福祉大学子ども学部 教員 橘田 重男

 この度、「教育つれづれ日誌」の一部をを担当させていただくことになった橘田(キッタ)です。どうぞ宜しくお願い致します。  私は公立小学校教員を25年、保育者養成短大・大学教員を6年経験してきましたが、「教育」の難しさ、奥深さなどを常に感じながら過ごしてきました。「教育」の辞書的意味は、「①教え、育てること ②未成熟者の心身の諸性能を発達させる目的で、そのための刺激や影響を一定の方法で一定期間続けて与えること」とあります。②は理屈的にはそうかなと納得しますが、①は言葉としてはシンプルながら、ピンと来ません。私も全国の多くの先生方と同様に、一教師として「教えること」の難しさ、「育てること」の難しさに向き合って来ました。悪戦苦闘の日々で、失敗の方がはるかに多く、実践に行き詰まってしまうことも多々ありました。  そうした中で、「育(はぐく)む」というキーワードに辿り着いたような思いがします。その言葉の響きが良いことも理由になっていますが、「子ども達に教える」「子ども達を指導する」側から、「一人一人の良さを引き出す」「その子の良い面を伸ばす」側への発想の転換を図ることが根本にあります。良さを引き出すためには、その子の姿・言動をじっくり観察し、心持ち・心の動きを理解するために努力する必要があります。短所には多少目をつむりながら、生身の人間として関わり合います。このプロセスは、私が長く関わった小学生に対しても、ほぼ大人の大学生に対しても共通しているように思います。もっと言えば、ゼミ生が現場実習に出て、幼児に関わる場合も同様に思えてきます。もしかして、人間同士が関わること(コミュニケーション)にも通じるような気もしてきます。この際、生身の人間同士なので、どろどろした感情、誤解、醜い面などを伴うケースの方が多くなりますが、そこを乗り越えてこそ、人間的な関わりが深まります。  話が発展してしまった感じがありますが、私なりに考える「教育」の原点はこの辺にあるように感じるこの頃です。今後も文字通り日誌感覚で教育にまつわる私なりの思いやエピソードなどを綴らせていただきます。  

橘田 重男(きった しげお)

小学校25年、短期大学幼児教育学科5年勤務後、現職。ライフワーク:ユーモアの感覚、シンガーソングライター:ナンジャモンジャ、走歴34年長距離ランナー(現在、壮年ジョッガー)。所属学会:日本笑い学会・日本子ども学会・日本保育学会他。

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