7月も半ばとなり、3学期制の学校の先生方は、成績や学期のまとめに追われているのではないでしょうか?
この後、子供たちは、夏休みを迎えるわけですが、先生方は、校内研修や法定研修等の研修が待っているのではないかと思います。
決まった研修や全国規模の研究会もとても大切ですが、是非、夏季の忙しい合間をぬって自己研鑚をお勧めします。
実は、一足先に自己研鑚として、長野県松本市にある「旧開智学校」に行く機会がありました。新任時代に県外研修の一環として一度訪れたことがあるのですが、今回も沢山の教育資料に圧倒されましたので、少し紹介します。
旧開智学校の歴史
開智学校は、明治5年の学制発布を受け、筑摩県学校として開校し、翌6年に第一番小学開智学校となったそうです。
現在重要文化財になっている校舎は、和洋混交の擬洋風建築で明治9年4月に完成したものです。
この校舎は、昭和38年まで90年間にわたって使われていた国内で最も古い小学校校舎の一つで、市内の中心部にありましたが、昭和39年現在地に移築復元されたそうです。
開智学校に保管されてきた明治・大正・昭和の100年にわたる教育資料は、約10万点にのぼります。その一部を展示してあり、昭和40年から、教育博物館として一般公開されています。
教科書や教具の歴史
展示室に入り、まず一番最初に目に飛び込んだ物は、木製の小さな机と椅子です。
驚いたのは、机です。今の机と違って手前が開いていません。どうやって教科書等を机の中にいれるかと言うとぱかっと蓋のように開くのです。
教室にオルガンがある事は、今も変わらないと思いました。
音楽室の机も、もちろん木製ですが、三人掛けになっていて、楽譜が立てられるようになっていました。
若い先生方は、私以上に驚かれる事だと思います。
展示物の中で、教育資料の展示は、やはり興味がわきます。明治以降の教科書を実際に目にすることは、なかなか出来ないからです。
又、校長先生が毎日付けられていた「校長日誌」は、細かい記載に驚かされます。
現在は、前と後ろに黒板がありますが、当時の写真を見ると黒板が前になく後ろにあり何故だろう?と思ったりしました。
フレーベルの影響
幼児教育と言えばフレーベルです。ドイツの幼児教育の研修に参加した際、フレーベル博物館に行きましたが、開智学校もその影響を色濃く受けているようでした。
フレーベルの開発した教具が展示されているのも、魅力の一つです。
小学校教育だけでなく、幼児教育の始まりも資料からわかります。
働く子供たち等の教育の歴史
展示は、小学校だけではなく、幼稚園教育や特別支援教育の資料もありました。
一番驚かされたのは、働く子供たちのための教育です。どの子にも平等に教育を・・・という教育方針がよくわかります。
働く子供たちの一つ目は、子守をしている女の子達の教育ですが、校庭でオルガンを真ん中に全員背中に赤ちゃんを背負ってお遊戯をしている写真は、インパクトがあります。
今、小学校に通う子供たちで働いている事は考えられませんが、明治時代、子守の奉公に出されて学校に行けない子供もがたくさんいたため、子守教育所が始まったそうです。
子守の雇い主の配慮により、奉公しながら子守教育所に通うことができたようです。雇い主が配慮せず、通えなかった子もいるにちがいありません。
働く子供たちの二つ目は、お店に奉公している子供たちの教育です。お店の前掛けや法被を着て勉強している写真を見ると、こちらは男の子がほとんどでした。
三つ目は、芸者さんになるために芸事をしなければならない子供たちが小学校教育を受けている写真でした。
この子達も雇い主の配慮により、奉公等しながら通うことができたと思われます。
これらの写真の前で、本当に今は、幸せな時代だと改めて思いました。
「温故知新」
故きを温ねて新しきを知る。日々進化していく教育には、新しい教育方法について学ぶ事は重要です。
インターネットで実際の場所に行かなくても、ほとんど知りたいことを調べる事ができるようになりましたが、本物に触れる事や教育の歴史に触れる事もまた必要ではないでしょうか。
子供たちと過ごす学期中には、なかなか県外に研修する機会もないと思いますが、時間の余裕がある夏季に自己研鑽として、教育の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。

松村 純子(まつむら じゅんこ)
独立行政法人国立青少年教育振興機構 教育事業部 企画課長
元小学校の教師です。勤務地の異動に伴いしばらくお休みをしておりましたが、2年半ぶりの再登場です。「青少年の体験活動の重要性」を発信したいと思います。
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