三送会がありました。
卒業する生徒にとっては、後輩・先生から歌を贈られ
自分たちも思い出の歌を贈り返したり
過ぎ去った学校生活のビデオを鑑賞して笑ったりと
ほっこり&しんみりしてしまう行事です。
ここで恒例なのが
卒業生から、お世話になった先生方に花と手紙を贈るというイベントです。
第3学年所属の私も、舞台に呼ばれて
いろいろの思い出話の結びに「I love you!!」と書かれた手紙をもらい、
マイクを渡されました。先生から一言、ということです。
私はその場所に、去年も立ちました。
そしてそのとき「もしかしたら次の年で最後になるかもしれない」と思いました。
そう切り出したのですが、もう、声が震えてしまって、あとが全然つづきません。
「先生、がんばって」
どの生徒が言ったのかわかりませんでしたが
聞こえましたよ。
誰だったんだろう。
生徒を見ようとしても、どの顔もぐしゃぐしゃになってしまっていたから。
(「つられちゃったよー」と、あとで何人かの生徒に言われました)
というわけで、私が教員として過ごす時間も
あとわずかになりました。
以前から、一般社会というものを知らずに教壇に立つことに疑問を抱いていたので
いろいろ条件が揃った今年度を節目として、退職しようと決めていたのです。
「学びの場.com」への投稿も、今回が最後になります。
* * *
最後の記事を書くに際して
長らくお世話になりました編集の方から
「生の英語に触れた経験談を」というお題をいただきました。
少し長くなりますが、綴ります。
* * *
生の英語との最初の接触は
小学6年生の一年間に通った英会話教室です。
フィリピン人の女の先生でした。
日本語はだいたいわかるのですが、時々知らないものがあるので
「私が英語をもっと勉強して、先生に教えてあげなきゃ」
と思ったのが、そもそもの始まりだったと思います。
英語という言語は、身近なところにたくさん転がっていました。
同じ頃、シンガポールの親戚宅を訪れたとき
母が「オーストリッチの鞄」についてなにか話していました。
帰国してすぐ
たまたま英会話のテキストにダチョウの絵がでてきて
先生が「コレハ何?」と首を傾げたんですね。
オーストリッチが「ダチョウ」なのか「ダチョウの革」なのかと一瞬迷ったものの
もしかしたら通じるかも、と思って
「ん-、オーストリッチ?(巻き舌ぎみに、それっぽく発音)」
と言ってみたのです。
「アァ!」
という先生のあの顔。伝わった嬉しさは、癖になるほど気持ちのいいものでした。
残念なことに、それ以降は生の英語に触れる機会は一気に減りました。
中学時代、教科書は、いうなれば太郎と花子が出てくるようなものだし
Oshogatsuなんていう表記もあったりと
あくまで日本文化がベースでした。
それから、塾ではがっつり文法の勉強をしましたね。
語彙は増えたし、文法がハイレベルになると読める文章の質も上がるので
英文から得るものもあったけれど
「生の英語に触れている」という意識は低かった。
ただただ、「受検のための英語」という気持ちがあったのだと思います。
高校では、ネイティブの授業を選択したこともありましたが
中心は日本人の教員で、どうしても日本語のクッションが入ってしまう。
でも、当時はそういう教育に疑問を抱かなかった。
* * *
だから、学生時代はとても苦労しました。
母校である津田塾大学は、帰国子女が結構いるのです。
中には海外の高校を卒業したという子もいましたから、そもそもの基盤が違う。
それでも、授業は一緒に受けるわけだから
その子たちがすらすら答えられる問題が、私は理解すらできない。
内容は楽しそうなのに、オール・イングリッシュだから受講できなかった授業もありました。
4年間、損をし続けましたね。
「損」を痛感したのは、大学2年次に参加した国連大学でのインターンシップです。
パソコンで作業しようにも、表示がすべて英語だし
校内でのイベントも、すべて英語。
しかもナチュラルスピードです。遠慮なんて誰もしてくれません。
特に、国連の職員(当時、3番目に偉い人だったそうですが)へのインタビューで
英語がまったく通じなかった、というのは深い傷となりました。
その後、焦った私は、英検準1級に受かるくらいには勉強してみましたが
それでも、英語の感覚や英語圏の文化は身についていませんでした。
通りすがりの観光客レベルの英語、そんなもんです。
* * *
色々ありましたが
「生の英語」に面と向かいあったのは
実はいまの勤務先に来てからではないかと思います。
就職一年目でサマー・スクール(海外語学研修)の引率をして
初めて、本当に本場の英語に浸かったのですから。
行き先はイギリスでした。
英語教員のくせに、それまでロンドンの町並みも、観光地の英語の名称も知りませんでした。
例えば、ロンドン空港というのはありませんね。
ヒースロー空港という。それすら知りませんでした。そこはどこ? という具合でした。
現地では、スタッフとの時間の交渉やイベントの打ち合わせ、
こちらの要望なども英語でやりとりしないとならない。
場合によっては、教員の語学力が生徒を守るために必要となります。
2週間以上も海外にいれば、生徒は病気になったり怪我をしたりするわけです。
そういうときに、英語で対応できないといけない。
(因みに私は、昨年度は発熱した生徒を連れて緊急病院に、
今年度は眼鏡の壊れた生徒とともに視力検査に付き添いました。
保険もからむのですが、もちろん英語で説明されます)
* * *
これからの生徒たちは必ず海外に行きます。
そこで、教科書や英検に出てこない言葉や表現に出会います。
そんなとき「あれ、中学時代の先生がなんか言ってたような」とか
「先生が薦めてた映画で、聞いたことがある言葉だな」とかいう経験があれば
生徒は英語圏を恐れずにすむはずだと信じているわけです。
だから私は、ナチュラルイングリッシュを授業にどんどん取り込みたいし
生徒が勝手に吸収していけるように、聞き取りやすい英語の映画や歌を紹介しておきたい。
英語に触れる手段は、Youtubeでもいいし、絵本などでもいいのです。
教員がいくつかの手段を生徒に教えておけば、彼らは自ら学びの可能性を拡大させていけます。
だって、ナチュラルイングリッシュが理解できれば
世界は今よりずっと面白くなるし、なにより格好いいのだから。
* * *
というわけで、さぁて、先生、がんばるよ。ただの観光客で収まるものか。
実り多き君たちであれ。国内にあっても、自文化にとどまるな。
可能性を広げよう。
そしていつか、ぽんっと音をたてて芽吹け。

四ツ分 祥子(よつわけ しょうこ)
駿台学園 英語科常勤講師
塾講師5年、私立高校にて非常勤講師2年を経験。2011年度から新天地で常勤講師として勤務。
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