2012.12.12
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1冊の本との出会い

ほしのむらのがっこう 学校管理者 松浦 博孝

前回のつづきから

  今回で4回目の掲載となります。大阪の松浦です。よろしくお願いいたします。

 前回は、面接官のひと言で私が教育の道へ踏み出す大学編入学を考えることができたお話をご紹介させて頂きました。

 今回は、1冊の本との出会いで教育について本気で考えたお話をご紹介します。

 

1冊の本との出会い

 ちょうど通い始めた空手道場に慣れた頃に1冊の本の宣伝チラシが道場の机の上に置いてありました。

 風になった男、吉田松陰-21世紀の扉を開くために―という渡辺かつみさんの著書です。歴史にあまり興味のなかった私ですが、何か気になったのか自然と本を注文しました。そして、本が手元に届き、読み始めると吉田松陰の魅力に引き込まれていったのです。

 吉田松陰は、今の山口県の萩市に生まれました。

 幕末の教育家であり、行動力の人でした。幼少のころから学問に優れ、わずか10歳にして萩の藩校である明倫館で教鞭をとるまでの人物となりました。

 2010年の大河ドラマ「龍馬伝」でもありましたが、ペリー来航の際に小舟でペリーの黒船に近づき、アメリカへ連れて行ってほしいと頼んだ人物であります。しかし、この当時の情勢では、密航は死罪とされていましたから、まさしく命をかけていたと思います。結局、アメリカへは行けず、密航は失敗に終わり、幕府に正直に密航をしようとしたことを告げてしまいました。そのせいで幕府に捕えられ萩の野山獄へ入れられました。

 そこからの吉田松陰の様子から教育者としての素晴らしさを知りました。牢獄に捕えられた人たちの心を掴み、罪人の人たちに学問を教えるようになったのです。また罪人たちにも変化もみられてきました。学ぶ意欲というのは、どんな人でもあると知らされました。

 牢獄を出てからは、自宅から出られない幽閉ということになりましたが、自宅に私塾を開きました。それが有名な松下村塾です。松下村塾は、あの時代には珍しく身分を問わず、門下生を受け入れて、藩校のように立派な場所でもないですが、明治維新につながる活躍をした多くの人物を輩出できました。学ぶ場所というのは、どんなに狭かろうが小さかろうが関係ないと思いました。

 この本と出会って教育は、場所や置かれている立場で左右されず、熱い志ひとつなんだとこの時に知りました。だから自分がどんな環境に置かれようが、学ぶ気持ちをしっかりと持って本物の教育者になっていきたいと誓った瞬間でした。

 この時から試験勉強にもさらに本気で取り組んでいった結果、見事、大学の編入学試験に合格することができました。なかなか成功体験が積めなかった私が、徐々に自らの成功体験を通して自信をつけ始めた頃でした。この1冊の本と出会えて、本気で教育について考えることができたことに心から感謝しています。

松浦 博孝(まつうら ひろたか)

ほしのむらのがっこう 学校管理者


社会人経験を得て「であい・つたえあい・つながりあい」をテーマに子どもとともに学ぶ子どもから学ぶ教育活動を展開。様々な学びの場へ自分から積極的に参加して常に教育者修行を行う。同時に様々な武道修行も行っているサムライ教育者。

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