2012.11.06
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オッチャンのひと言

ほしのむらのがっこう 学校管理者 松浦 博孝

前回の続きから

 

 前回より連載をさせて頂いている松浦博孝(まつうらひろたか)です。

 前回は、教師になったきっかけについて中学校時代の先生のお陰で今の自分があるという話をご紹介させて頂きました。

 今回は、教師になりたいと決意した時のことを以下にご紹介します。

 

オッチャンのひと言

 

  中学校で教師になりたいという思いを持ってはいましたが、勉強不足もあり、半ば諦めて大学への進学では、まずは自分の今の能力で行ける大学を選択しました。そのままの流れで興味のあった建設関係の会社に就職しました。

 就職してからは、気持ちが中途半端なままイヤイヤな態度で周囲に迷惑をかけながら仕事をしていました。

 就職をして半年を過ぎた頃に緊急復旧工事で山梨県の現場に行かされました。そこはダムのトンネル工事で復旧作業が続いていて、私も作業員として働きました。夜勤の担当となり、夕方の5時からトンネル内に入って朝の6時頃に仕事から上がるという感じでした。急には昼間に眠れず、私のイヤイヤ仕事を行う態度も最高潮だったかと思います。

 そんな中で一緒に作業をしていた年配の作業員のオッチャンに声をかけて頂きました。オッチャンは、冬以外の季節は、地方の漁村で漁業をしているので、冬は海が時化て漁業ができない状況から家族を残して、この建設現場に出稼ぎに来ていることを話してくれました。オッチャンとの会話で少しは気持ちがほぐれていました。

 オッチャンと出会ってから何日か経ちました。イヤイヤ仕事をしていた私の姿を見かねてか突然オッチャンが私に向かって

 「兄ちゃん。イヤイヤ仕事をしていてもつまらんぞ。兄ちゃんは教師が似合うけどな。転職したらどうだ。ここにいたらダメだよ。」と言われて何だか自分の心を見透かされている感じがして、思わずオッチャンに私は涙声になりながら

 「ありがとうございます。」とだけ答えました。その瞬間からイヤイヤ仕事をしていた自分から一生懸命に仕事を続ける自分に変わりました。何か引っかかっていたものが取れた感じがして、自分は教師になりたかったはずだという思いが強くなりました。

現場が落ち着いて、会社へ戻った時には、上司に辞表を提出していました。

 今になって思えば、あの時のオッチャンとの出会いとオッチャンのひと言がなかったら今の自分はありません。

オッチャンとの であい とオッチャンの ひと言 に心から感謝しています。

松浦 博孝(まつうら ひろたか)

ほしのむらのがっこう 学校管理者


社会人経験を得て「であい・つたえあい・つながりあい」をテーマに子どもとともに学ぶ子どもから学ぶ教育活動を展開。様々な学びの場へ自分から積極的に参加して常に教育者修行を行う。同時に様々な武道修行も行っているサムライ教育者。

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