2011.11.18
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外向きシンポジウムと上向き仲間

駿台学園 英語科常勤講師 四ツ分 祥子

私は英語科教員ですが

大学では国際関係学科に所属していました。

異文化コミュニケーション、平和研究……

一見胡散臭いような名前の授業を4年分受けてきました。

大学での勉強は創造的で新鮮でした。

異文化を学問するために、まず「相手の文化を尊重する」ということは

いろんな意味で私を大きくしてくれたと思っていました。

-相手の文化を尊重するー

このスタンスに立たないと、なにも始まりません。

常識だ、とすら思っていました。

ところが、今更……。

 

* * *

 

職場と家の往復ではダメだ、と思い

前々から興味のあった「赤十字シンポジウム」に行きました。

今年のテーマは「東北関東大震災」の復興。

最前線で活躍するNGOやJICAの方がパネリストでした。

 

* * *

 

海辺の町で、津波の被害に遭ったのだから

地元の人々はきっと海を憎んでいるだろう。

もう漁業で生活していこうとは思わないだろう。

 

という噂を、私はよく耳にしました。

自分でも

なるほどそういう人もいるかもしれない、と思っていました。

けれどパネリストの一人が言い出したのは

「いかにして海で生きるか」ということ、

地元の人々が脈々と受け継いできた生活の形を

どうやったら維持できるかということでした。

そのパネリストは

「現地の文化を尊重する」というスタンスで活動していたのです。

 

* * *

 

相手の文化を尊重することは

同じ日本人、あるいは一人の人を尊重することに繋がってきます。

出生や、歩んできた道が違えば

それぞれの持ち物も違ってくるからです。

一人一人が文化を持っている、と言ってもいいかもしれません。

そういう感覚を、私は学生時代に持っていました。

今でも持っているつもりでした。

けれど、パネリストの言葉を聞いたとき

私は大学で養ってきたその感覚を、すっかり忘れていることに気付きました。

 

* * *

 

感覚に形はありません。

だから、しっかり言葉にしないと

消えてなくなってしまいます。

日々に追われながら、目の前のことが見えなくなっていたら

周りの人を尊重することなんて、できません。

それがどんな相手でも

「ああ、この人の文化はそういうものなんだな」と

客観視しながら接しなければ何も始まらないのです。

そのことを忘れていました。

教える立場として、恥ずかしいと思いました。

 

* * *

 

夕方は、学生時代の仲間と久々の食事会でした。

みんな仕事や人間関係、自分のやりたいことについてつまずいたり

まだ若造であるがゆえに

うまくいかないこともあるようです。

そこで一人が、ふと漏らした言葉です。

「あたしね、これからの10年間は、人生で一番楽しいと思うんよね。

 動こうと思えば動けるし、どうにでもなれる時期だと思うんよね」

外向いて、上向いて

心だけは動かし続けないと。

四ツ分 祥子(よつわけ しょうこ)

駿台学園 英語科常勤講師
塾講師5年、私立高校にて非常勤講師2年を経験。2011年度から新天地で常勤講師として勤務。

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