私は英語科教員ですが
大学では国際関係学科に所属していました。
異文化コミュニケーション、平和研究……
一見胡散臭いような名前の授業を4年分受けてきました。
大学での勉強は創造的で新鮮でした。
異文化を学問するために、まず「相手の文化を尊重する」ということは
いろんな意味で私を大きくしてくれたと思っていました。
-相手の文化を尊重するー
このスタンスに立たないと、なにも始まりません。
常識だ、とすら思っていました。
ところが、今更……。
* * *
職場と家の往復ではダメだ、と思い
前々から興味のあった「赤十字シンポジウム」に行きました。
今年のテーマは「東北関東大震災」の復興。
最前線で活躍するNGOやJICAの方がパネリストでした。
* * *
海辺の町で、津波の被害に遭ったのだから
地元の人々はきっと海を憎んでいるだろう。
もう漁業で生活していこうとは思わないだろう。
という噂を、私はよく耳にしました。
自分でも
なるほどそういう人もいるかもしれない、と思っていました。
けれどパネリストの一人が言い出したのは
「いかにして海で生きるか」ということ、
地元の人々が脈々と受け継いできた生活の形を
どうやったら維持できるかということでした。
そのパネリストは
「現地の文化を尊重する」というスタンスで活動していたのです。
* * *
相手の文化を尊重することは
同じ日本人、あるいは一人の人を尊重することに繋がってきます。
出生や、歩んできた道が違えば
それぞれの持ち物も違ってくるからです。
一人一人が文化を持っている、と言ってもいいかもしれません。
そういう感覚を、私は学生時代に持っていました。
今でも持っているつもりでした。
けれど、パネリストの言葉を聞いたとき
私は大学で養ってきたその感覚を、すっかり忘れていることに気付きました。
* * *
感覚に形はありません。
だから、しっかり言葉にしないと
消えてなくなってしまいます。
日々に追われながら、目の前のことが見えなくなっていたら
周りの人を尊重することなんて、できません。
それがどんな相手でも
「ああ、この人の文化はそういうものなんだな」と
客観視しながら接しなければ何も始まらないのです。
そのことを忘れていました。
教える立場として、恥ずかしいと思いました。
* * *
夕方は、学生時代の仲間と久々の食事会でした。
みんな仕事や人間関係、自分のやりたいことについてつまずいたり
まだ若造であるがゆえに
うまくいかないこともあるようです。
そこで一人が、ふと漏らした言葉です。
「あたしね、これからの10年間は、人生で一番楽しいと思うんよね。
動こうと思えば動けるし、どうにでもなれる時期だと思うんよね」
外向いて、上向いて
心だけは動かし続けないと。

四ツ分 祥子(よつわけ しょうこ)
駿台学園 英語科常勤講師
塾講師5年、私立高校にて非常勤講師2年を経験。2011年度から新天地で常勤講師として勤務。
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