2011.11.15
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ニノキン

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長 野村 泰介

  備前焼ニノキン

生徒募集という名の「営業」で小学校を訪問させていただきます。本来の目的とは別に最近興味を持っているのが、その学校に「二宮金次郎」の像があるかないか。背中に薪をしょって片手に本を読む姿。おなじみのスタイル。私は親しみをこめて「ニノキン」と呼んでいますが、これが気になりだすと止まらないのです。

 

一般的に小学校にあるニノキン像というと、戦時中に「倹約」「勤勉」のシンボルとして「欲しがりません勝つまでは」に結び付けられ、戦後急速に消えた、というイメージがありますよね。また、ニノキン像の多くは銅製であったため、戦時中の金属供出の憂き目に遭ってその多くが姿を消したという話もよく聞きます。大谷雅昭先生も2010年10月の「つれづれ日誌」で書かれていますが、銅像?おかしいぞ?ニノキンの銅像なんか見たことないぞ?

 

ところ変われば品変わる。岡山のニノキンのほとんどは備前焼なのです。郷土史研究家の方の調査によると、岡山県に現存するニノキンの9割近くが備前焼だそうです。

 

戦時中、岡山県下の多くのニノキンは金属供出で消えました。そこでやってきたのが特産の備前焼で作られたニノキン。戦地に消えた銅製ニノキンに代わり多くの備前焼製ニノキンが岡山で誕生しました。

 

さて、ニノキンが「戦時教育の象徴」というイメージ、私は必ずしもそれがすべてだとは思っていません。しかし、当時の「修身」の教科書にニノキンが取り上げられましたし、全国のニノキン像の多くは昭和10年代に建立されています。この時代にニノキンブームがあったのは確かです。しかし、ニノキンはお上が建立したものではありません。当時のムードからか、こぞって地元の有力者が寄付しました。それが金属供出という面で消えたケースと相まってこのようなイメージが戦後作られてしまったのでしょう。

 

ちなみに私の自宅近くの小学校は戦後新設された新しい学校ですが、しっかりと備前焼のニノキンがいます。岡山では比較的多くの学校でニノキンを見ることができますが、戦後製のニノキンも多そうですね。

 

皆さまの地域のニノキンはどのような姿なのでしょうか?気になるところです。

写真は備前焼製のニノキン。

野村 泰介(のむら たいすけ)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。

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