2011.11.01
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昭和末期の日常。「微妙に違う」面白さ

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長 野村 泰介

私は現在34歳。昭和52年生まれです。世間的には「若者」でもまだ許される歳ですよね!?そんな自称「若者」が昭和を語るとどうなるか?

 

平成生まれの生徒たちにとって昭和は「昔」のことであり、全くの異空間。しかし、昭和末期(昭和59年から昭和63年頃)頃の話をすると、結構食いついてきます。

 

この頃の日常は、基本的に今とそう変わらないのですが、微妙に違う部分があります。コンビニはあるけどケータイは無い。テレビゲームはあるけどプリクラは無い。使い捨てカメラはあるけどデジカメは無い。「今と微妙に違う」というところが生徒たちにとってはツボなようです。(もっと古い話になると完全な「昔話」になってしまい途端に興味を失ってしまうのです・・・ )

 

最近話をした中で関心を引いたのが屋台の話。

 

今から25年くらい前、学校帰りの通学路には屋台がいました。この頃、すでにコンビニの数は増えてはいましたが、屋台という業態もまだ健在でした。

 

私は小学生時代の前半を東京で、後半を岡山で過ごしましたが、今から考えると東日本と西日本では屋台文化が少々違っていました。

 

東京での屋台の思い出は何と言ってもおでん。串にささった、あのマンガに出てくるようなおでんです。1つ70円くらいだったのでしょうか?コンビニのおでんは冬しかありませんでしたが、屋台のおでんは真夏でも出ていました。夏休み、プール帰りに食べるおでんの味は今でもはっきり覚えています。

 

岡山の屋台と言えば、夏限定なのですが、冷やしあめです。東日本の方にはあまり馴染みのない飲み物かもしれませんが、しょうがで味付けした水飴を水で薄めて冷やした飲み物で琥珀色をしていました。氷で冷やされた器の中にアルミのひしゃくを突っ込んでガラス製のコップについでくれました。これで1杯50円。飲み終えるとコップをでっかいバケツの中の水にじゃぶじゃぶつけ、洗ったフリをして、また次の人へ・・。冷やしあめの器の周りにハエがたかっていたり、結構不衛生でしたが、これまたプール帰りに飲む冷やしあめは格別でした。

 

これと言って結論のある話ではないのですが、これらの屋台、平成になり、いつのまにか姿を消してしまいました。今はもう体験できないという所が話のミソだと思っています。その他、現在「絶滅危惧種」扱いの昭和として、個人経営の駄菓子屋、本屋、文具屋、おもちゃ屋。この10年で急速に数を減らしています。やがてかつての屋台のように消えてしまうかもしれません。体験するなら今ですよ。

 

さて、これから数年は昭和を語ることができる「若者」として、今と「微妙に違う」日常の語り部の役割を果たしていきたいです。数十年後、昭和末期の話を、本当の昔話として語る日を想像しながら。

野村 泰介(のむら たいすけ)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。

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