2011.10.18
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昭和の記録館―ものを遺す技術

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長 野村 泰介

14年前に祖父が、そして4カ月前に祖母が亡くなりました。先日、空き家になった祖父母の家を売却することになり、部屋の中にあるものすべて処分することになりました。

 

近頃、「断捨離」なんて言葉が流行っていますが、祖父母はその正反対を生きてきた人。ありとあらゆるものが保管されていました。その内容が実におもしろいのです。今回はほんの一部ですが、祖父母の部屋にあったものを紹介します。

 

1.60年分の家計簿

戦時中から晩年まで約60年間の1円1銭までの記録が、給与明細や領収書と共にすべて保管されていました。戦中戦後の配給切符、小銭、紙幣などもまとまってあり、まさに昭和市民の経済史。

 

2.戦争~新憲法制定までの新聞

真珠湾攻撃の日から終戦、そして新憲法制定までの新聞がきれいに保管されていました。圧巻だったのは昭和20年8月15日戦争終結の日に、表現内容の違いを分析するために三紙の新聞を買い求めていたこと。戦争末期から放送局で海外情報収集にあたっていたらしいので、情報統制に惑わされることなく冷静に時局を見守っていた様子がうかがえます。

 

3.膨大な記録写真

戦時中からの写真の枚数もハンパではありません。ただ人物を映すだけでなく、当時の街並みの様子などもしっかり記録されています。整理していて助かったのは、その写真のほとんどに撮影日と内容のキャプションが書かれていたこと。また、昭和30年代よりカラー写真になっているところにこだわりを感じます。

 

4.おしゃれな手紙

祖母の父親、つまり私の曽祖父は国文学者、祖母の兄弟には画家、祖父の兄弟親戚には仙台市長、日劇ダンシングチームの振付師、会社重役、音楽家など多彩な人が揃っていました。兄弟親戚から祖父母に宛てた手紙類は読んでいて飽きません。

 

書けばきりがないのですが、祖父母の家はさながら「昭和の記録館」でした。ただ、惜しいのは、こういったもののほとんどが処分されてしまったということ。紹介した上記のものはかろうじて私の手元に残りましたが、処分した後で気づいた貴重なものもありました。「ものを捨てる」のも技術なら「ものを遺す」のもまた技術が必要なのだと感じた一件でした

野村 泰介(のむら たいすけ)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。

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