授業担当している生徒約100名に、「日本史上、あなたの中で有名な人物ベスト3をあげてください。」というアンケートをとってみました。その結果、坂本竜馬、織田信長、徳川家康に次いで多かったのが聖徳太子でした。
聖徳太子は「推古天皇の摂政として冠位十二階や十七条憲法を定めた」と小学校の歴史の教科書から登場する有名な「人物」です。
ところが、聖徳太子について、「聖徳太子」という名前や、実在の可否という根本的なものも含めて学術的に諸説あることも知られています。私は歴史の専門家ではないので詳しいことに立ち入りませんが、聖徳太子、歴史上あやふやな存在でありながら、生徒たちの中の存在感は抜群です。
また、このような調査もしてみました。「聖徳太子の顔を何も見ずに書きなさい。」
そうです。ほとんどの生徒は、「あの顔」を書きました。帽子をかぶってヒゲを生やし、杓を持った姿です。
聖徳太子のイメージとして有名な肖像画。近年の研究では、あの画は聖徳太子を描いたものではないとされています。教科書の図版には、あの顔のキャプションとして「聖徳太子と伝えられている肖像」とあり、ぼやかした表現となっています。かつて、1万円や5千円の顔として30歳代以上の人にはあの顔こそ「聖徳太子」と刷り込まれていますが、お札からあの顔が消えて25年以上経っています。では、なぜ生徒たちはあの顔を聖徳太子と認知するのでしょうか。
それはやはり、我々教える側の問題ではないかと思っています。あの顔が「むかしは聖徳太子と言われてたけど今は違うよ!」と言ってみても、大人の私たちにとって「聖徳太子」といえば「一万円札のあの顔」なのです。どんなにキャプションをつけようとも教科書にあの顔がある限り、それを教える私たち大人の教師は「これが聖徳太子なんだよ」と無意識に言ってしまっているのかもしれません。それほど長年お札に採用されていたあの顔のインパクトは強すぎます。
聖徳太子と同様のケースとして「足利尊氏」のようにかつてのイメージの顔が後の研究で修正される例はあります。しかし「聖徳太子=あの顔」というイメージ、まだまだ当分続きそうですね。

野村 泰介(のむら たいすけ)
学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。
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