今年は日本史の授業を多く担当しています。生徒たちには石器や土器など、教科書の図版だけでなく、できるだけ実物を見せたいと思っています。
社会科研究室には、かつて考古学の研究者が教諭として在籍したこともあり、旧石器時代の打製石器から縄文土器、弥生土器、その後の土師器、須恵器、円筒埴輪などが豊富にあります。
近世以降の現物資料も多く、火縄銃、江戸時代の書籍や古文書、藩札、寛永通宝、明治の地券、太平洋戦争時の戦時国債、配給切符などなど・・。
これら現物に触れて生徒たちは興味を示すのですが、その次に決まって出る質問が、
「これって売ったらどのくらいの価値になるんですか?」
どうやら古いものイコール価値のあるものと思い込んでいるようです。石器にしても土器にしても、文化財に指定されるレベルのものは皆無なので、それほどの価値があるとは思えません。その中でも多くの生徒が勘違いするのが江戸時代の「寛永通宝」です。昔のお金だと宝物だという錯覚に陥ってしまうのでしょうか?
しかし、寛永通宝は実際たいして珍しいものではありません。いなかの旧家の土蔵から普通にゴロゴロ出てきたりします。年配の方が子どもの頃はおもちゃ代わりになっていたという話も聞きます。 母銭など一部を除き、寛永通宝には骨董的価値もほとんど無いといっても過言ではありません。
寛永通宝がはじめて発行されたのは17世紀はじめ。今から400年近く前の話です。では、そのような昔のものであるのになぜ価値がないのでしょうか?
ひとつの理由は、現存数が多いということ。寛永通宝は17世紀から幕末まで約230年間、400億枚近く鋳造され、現在でも100億枚近く残っているらしいです。
もうひとつの理由として、明治時代になって、新しい単位(円・銭・厘)の通貨が発行され、古い通貨と交換する際に、寛永通宝は1枚=1厘という非常に低いレートで交換されたこと。この時点で、寛永通宝=価値の低い通貨のレッテルが貼られてしまいました。
この寛永通宝、明治になってすべてが交換されたわけではありません。なんと、そのまま寛永通宝1枚=1厘として買い物で使用することができたのです。そして驚くことなかれ!法的には昭和28年(1953年)まで使用することが認められていました。
つまり、私たちの親や祖父母の世代は、買い物で寛永通宝を使おうと思えば使うことができたということなのです。でも1枚=1厘、つまり1000枚ないと1円にならなかったので、実際出回っていたのは明治中頃までだそうですが。
明治以降、使うに使えない寛永通宝が家庭に多く眠っていて、それが昭和の子どものおもちゃになっていたというわけです。
以上のことから、昔のお金である寛永通宝に骨董的価値はありません。しかし、歴史の教科書に掲載されている実物を手に取るということは価値の有無とは関係なしに、何かドキドキするものがありますよね。

野村 泰介(のむら たいすけ)
学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。
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