2011.02.07
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逆手

北海道真駒内養護学校 教諭 遊佐 理

つれづれ日誌の執筆者に加わって2年弱になります。

様々なことを書いてくると、自分のものの見方や考え方の癖や傾向が見えるようになってきました。

今回はその中のいくつかを紹介します。



僕は、基本的には人とコミュニケーションを取るのはあまり得意ではありません。

特に、最初にコンタクトを取るときや一回断られた相手に再びコンタクトを取るときなど、自分に非がないことでもあれこれ考え込んでしまい、最後には具合が悪くなってしまうことがあります。

小学生の頃には、春休み前にある先生から「親戚が写っている」といって預かった写真を「この写真は親戚の写真ではありません」と返すにはどうしたらいいのか春休み中悩み、始業式の朝に吐き気を催して学校を休むほどでした。

そうかと思えば、何も考えずに発言したことが大問題になり、周りから責められることも多々あります。

小学生の頃、友達と文通をしていたとき僕は「もう少し字をきれいに書いたらもっと良い手紙になると思う」と書いたのが見つかり、かなり怒られた記憶があります。今思えば、何という上から目線なのですが、そのときには「教えることができる良い友達」だと信じていました。

今でもその傾向は根強く残っていて、時々失敗しては周りに迷惑をかけています。
加えて、言葉のスリップや急に他のことが頭に浮かんでしまうことなどもあります。

僕は、コーディネーターとして業務をする際には常に自分の特性を意識するように心がけています。
「考えすぎない、焦らない」ということを考え、周りの人たちよりも慎重に業務を進め、自分は話を聞くのが苦手なので人一倍神経を使って話を聞き、すぐに忘れるのでメモを多めに取るようにしていました。

このように、自分の特性を逆手にとっていろいろ慎重に取り組んだことが結果としてよい方向へ進むこともあり、それが僕の自信につながっています。



一方、苦手な言葉がいくつかあることにも気づきました。
そのひとつに、一生懸命考えているのに「気持ちが足りない」と言われることがあり、その言葉はとても苦手としています。

自分が怠けていることに対して「気持ちが足りない」と言われることはその通りなので真摯に反省しますが、気持ちはたくさんあっても足りないと言われることは、僕にとってとても不本意です。
僕のどこを見て気持ちがないと評価するのだろうか…。とても悲しい思いを抱きながらそんなことを考えています。

たぶん、気持ちがあってもそれが行動として表れていないと、「気持ちがないということになる」ということは以前から理解していたことですが、コーディネーターの業務を進めていく際には、相手にしっかり伝えたつもりでも、実際は相手に伝わっていないことが多くあり、そのことを強く意識させられた3年間でした。

そんな中、僕が子どもたちにも同じようなことをしているのではないだろうか?と考えるようになりました。
たとえば、「勉強する気がないから座っていない」とか、「しっかり聞いているのなら視線が合うはず」とか…。

「勉強する気があっても、どうしても気になることがあって立ち上がってしまう」とか「しっかり視線を合わせると逆に緊張して何も聞こえなくなってしまう」とか「ケンカはいけないと思っていても人から急に触られるとついカッとなってしまう」とか「しっかり座ろうと思っていても筋力や平衡感覚のつまづきからだらしなく座ってしまう」とかと考えてみると、次に出てくる言葉は「しっかりしなさい」「ちゃんとみなさい」「お兄さんらしくしなさい」ではなく、多少の変化があると思います。

気持ちがあってもそうならないこともあるかと思います。特に、コミュニケーションが苦手な人ほど気持ちを行動に表すということが苦手なのかもしれません。そういったときには、こちらの視点を少し変えるだけでも子どもたちの生きづらさが劇的に変化することもあります。
「何度言っても変わらない」と思ったときの参考にしてみてください。



さて、話は戻って、自分の気持ちが足りないと言われてしまうことに関して、最近は、自分の思っていることをしっかりまとめて言うように心がけています。

それでも、まだなお気持ちが足りないと言われる場合には、その状況を逆手に取り、あふれる気持ちを伝えるスキルについて考えるチャンスとしています。
ちなみに、最近身につけたスキルは、「最後に聞いた話を僕なりにまとめて伝えると誤解が少なくなる」「積極的にいろいろ質問をするとこちらの気持ちが伝わりやすい」ということです。



つれづれ日誌でも自分の特別装備について、僕自身の経験を交えていろいろ紹介してきました。
以前にも書きましたが、自分の特別装備は悪いことばかりではないということに気づきました。また、それを逆手にとっておもしろおかしく紹介することでうれしいことがたくさんありました。

特に、僕の周りには似たような特別装備や全く違った特別装備を持つ方が多くいらっしゃったこと、それぞれの特別装備について楽しいエピソードを交えて共有できたことが大きな収穫でした。

人間っていろいろなんだな、ということと、自分が苦手だと思い込んでいることも逆手に取ればよい結果を生むこともあるんだな、ということを感じてもらえれば幸いです。

遊佐 理(ゆさ おさむ)

北海道真駒内養護学校 教諭
特別支援教育コーディネーターになって3年目。特別支援教育のプロフェッショナルとして、笑顔で人と人とをつなぐことを目指して頑張っています。

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