2011.01.17
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「あさみどり」「よきともに」

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長 野村 泰介

3学期がはじまりました。さて、ほとんどの学校では学期のはじまりには始業式、学期の終わりには終業式が行われます。式は校長の話があり、校歌を歌い、各先生の諸注意があって・・・といった流れだろうと思います。

さて、私の勤める山陽女子中学校・高校では始・終業式のはじめに必ず行われることがあります。「あさみどり」「よきともに」という2曲を全員で歌うのです。歌う順番は「あさみどり」「よきともに」の順で、そして2曲は切れ目無く続けて歌われます。このスタイルが長い間受け継がれているようです。

「あさみどり」の作詞は明治天皇、作曲は明治から昭和30年代まで本校の校長であった上代淑、編曲者は秋吉宗鎮。「よきともに」の作詞は昭憲皇太后(明治天皇の皇后)で、作曲は高畠孝爾とあります。

3学期始業式前、音楽科教諭指導のもと、全校生徒全員でこれら2曲を歌う練習が行われました。今まで、式の流れの中で、この2曲を歌うことについて何も考えていませんでしたが、生徒たちの練習を聞きながら、急に色々な疑問がわいてきました。

山陽女子中学校・高校は、今から125年前の1886年、プロテスタント宣教師の精神的援助によって、日本人の教会関係者の手によって設立されました。創立以来、宗教教育は行っていませんが、創立時のいきさつから、校歌の旋律は賛美歌よりとられています。また、様々な儀式で歌われるものにも賛美歌を基にしたものが多くあります。

そのような中で「天皇御製」「皇太后御歌」の2曲が学校行事の中に取り込まれていることは歴史的背景を考えると違和感を感じます。

早速、歌の由来を調べてみました。しかし、作業はえらく難航しました。まず、音楽科教諭に尋ねてみましたが全員、わからないとのこと。本校勤務30年以上の教頭に聞いてもだめ。頼みの綱の本校勤務40年超の校長もだめでした。同窓会に質問してみましたが、判明したのは戦争中にはすでに歌われていたらしい、ということにとどまりました。

学校の図書館にある古い学園資料を探してみると、1935年(昭和10年)発行の『学園歌集』には2曲採録されています。「あさみどり」の編曲者である音楽教師はちょうどその頃着任しました。別の資料をあたると、1930年代になると、国全体が戦争ムードの中、校長上代淑は、その立場もあったのでしょうか、修身の時間に行われた講話の中に盛んに「明治天皇御製」の歌を引用するようになったそうです。

以上のことから、これら2曲の歌は1935年頃より時局を意識して歌われはじめたものが、戦後も名残としてそのまま歌われ続けたのではないでしょうか。
「時局を意識」といっても、以下のように、これらの歌に軍国的なにおいは微塵も感じません。

あさみどり すみわたりたる大空の ひろきをおのが こころともがな (『あさみどり』より)

よきともに 交はる人はおのづから 身の行ひも正しかりけり (『よきともに』より)

敗戦後、GHQの指示により、軍国主義に繋がる修身教育は廃止されましたが、この歌は残りました。なぜ、残ったのかは今のところ不明です。上代校長のこだわりがあったのでしょうか。今後、もう少し調べていきたいと思います。

野村 泰介(のむら たいすけ)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。

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