2011.01.10
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Nothing

北海道真駒内養護学校 教諭 遊佐 理

今年もよろしくお願いします。


今年最初のつれづれ日誌は、僕が気に入っている言葉を紹介したいと思います。

Nothing

直訳すれば「何もない」です。
どちらかといえばネガティブな表現だと思います。
ただ、僕にとってこの言葉はポジティブな自分になれる呪文のようなものです。

この言葉を意識し始めたのは、高校に入学したての頃でした。
その頃の自分は、高校に入学して成績が落ちてしまい、かといって勉強を頑張っているわけでもなく、部活も1年生なので球拾いばかり。
本当の自分はこんなんじゃないと思ってはいましたが、だからといって何も努力するわけでもない、無気力な高校生でした。

そんなとき、ある雑誌のエッセイを読み、その文章にとても惹かれました。
もう大分忘れてしまいましたが、そこには、「何かを生み出すにはNothingである自分を恥じる気持ちを抱え、その気持ちを抱え続けることで力を持つことができる」というようなことが書いてあったと思います。

そのときの自分はまさにNothingで、そのことから目を背け、いい加減な生活をしていました。
しかし、その文章を読んでからなんでもない自分と向き合って何かを始める勇気を持つことの大切さに気がつきました。
それから、勉強の成績が上がり始め、得意教科もできました。部活でもレギュラーに近いところまでいくことができました。


それから20年後、現在の僕はコーディネーターとして仕事をしていますが、コーディネーターとしてはNothingであることを痛感することが多くあります。
そんなときはとても落ち込み、自分はこの仕事に向いていないのではないかと思うこともよくあります。

そんなとき、僕は、落ち込みながらNothingである自分となるべく向き合うようにしています。

Nothingである自分と向き合うということは、自分の弱さとどうつきあっていくのかを考えることであると思います。

たとえば、僕が質問されたことに対して答えられず、知識不足を指摘されたとします。
そのとき、僕はとても落ち込みますが、そこからどう次の一歩を踏み出すのか考えていくようにしています。
知識不足を補うために本を買って勉強するのか、その知識は今後の自分には必要ないとして切り捨てるのか、知識が足りないことでみんなとつながっていけると前向きに考えて受け入れてしまうのか…。

Nothingである自分をどうとらえ、どう対応するのかという選択肢はすべて自分の手のひらにあります。
どの選択肢を選ぶべきか悩んでしまうときや、そもそも選択肢がひとつしかないときもあります。
ただ、そこで目を背けることなく、Nothingである自分と向き合い、もがいていくことで力をつけられることがあるように思います。

もがいている時には、とてもつらいし、できれば逃げ出したいとも思っています。
しかし、高校生の頃や教員になった頃を思い返すと、あの時、もがきながら頑張ったことが今の自分を作っているような気がして、その時の自分をいとおしく思うことすらあります。


今回は、ちょっとくさい文章になってしまいましたが、頑張っている人たちの心に伝わる文章を、と思い、書いてみました。
書いているうちに、自分の考えを整理することができ、書いている自分自身も勇気づけられました。
そんなチャンスを与えていただいたつれづれ日誌に感謝しています。

僕も頑張らないといけないですね。


今年、Nothingと向き合っている皆さんの頑張りが実を結び、新しい扉が開くことを祈っています。

遊佐 理(ゆさ おさむ)

北海道真駒内養護学校 教諭
特別支援教育コーディネーターになって3年目。特別支援教育のプロフェッショナルとして、笑顔で人と人とをつなぐことを目指して頑張っています。

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