2010.12.13
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五感の記憶

北海道真駒内養護学校 教諭 遊佐 理

皆さんの一番昔の記憶は、何歳のどんな記憶ですか?

僕の一番昔の記憶は、2歳ぐらいに遊園地で飛行機がぐるぐる回る遊具に乗っている記憶です。おじさんに抱っこされて乗っていたように思います。その時は、日差しが強くて、皮膚が焼けるような感覚も覚えています。


僕は、色々な記憶を思い出すとき、視覚的な記憶や聴覚的な記憶だけではなく、その時の皮膚の感覚やにおいを含めて思い出すことがよくあります。

周りの人と記憶について話をしていたとき、周りの人とはちょっと違った記憶を持っていることに気付きました。
今回は、そういった五感の記憶についていくつか紹介したいと思います。


僕は、特定の音楽を聴くと、その曲を聴いたときのさまざまな感覚が同時によみがえることがあります。
たとえば、高校2年生の夏によく聴いていたマライア・キャリーの曲を聴くと、その時の自分の部屋の情景とともに、腕が汗ばんでいるような感覚やその部屋のにおいなども同時に思い出されて、言い様のない懐かしさに襲われます。
また、就職したときによく聴いていたアラニス・モリセットの曲を聴くと、その頃住んでいた町の秋の寂しい風景とともに、落ち葉のにおいや肌寒いけど気持ちのいい風の刺激なども同時に思い出し、その時代にタイムスリップしたかのような心地よさを感じます。

これら、五感の記憶は意識して思い出せることではなく、何かをきっかけにして無意識のうちによみがえってくる、という感じです。
したがって、同じ曲を聴いても思い出せるときと思い出せないときがあり、五感の記憶がよみがえらないときはちょっとがっかりすることもあります。

ただ、ひとつだけ奇妙な五感の記憶があります。
高校卒業間近によく聴いていた渡辺美里の曲を聴くと、卒業間近の高校のベランダの風景とともに少し暖かい風の感触や血が沸き立つような皮膚の感覚や土のにおいや桜の花の匂いも呼び起こされます。
しかし、その時期、仙台では桜の花が咲くことはありません。それでも、桜の花の匂いがよみがえってくるのです。
僕の五感の記憶は、実際の記憶というよりはその時のイメージが呼び起こされていることもあるようです。

もしかしたら、一番小さいときの遊園地の記憶も、皮膚が焼けるぐらい暑くはなかったかもしれないなぁ、と思っています。


もちろん、僕の記憶はいいものだけではなく、ある服を見ると、その服を着た人からすごく怒られた記憶がよみがえってきてちょっと困惑したり、特定のにおいをきっかけにして失敗したときの記憶を思い出して強烈に恥ずかしくなったりもします。
今は大分冷静に対処できるようになりましたが、それでも時々思わず「あ~っ」と声を出してしまい、周りの人たちをびっくりさせることもあります。
周りの人たち、お騒がせしてごめんなさい。



僕が以前担任していた子どもたちも、何の前触れもなく笑ったり怒ったり泣いたりする場面がありました。
僕にしてみれば何の前触れもないのですが、子どもたちにとっては特定の音楽やにおい、風の感触などで何かを思い出しているのかもしれないな、と感じていました。
そう考えることで、不意に感情が盛り上がった子どもと接するときに優しい気持ちになれたことを覚えています。

ただ、何を思い出しているのかがわかりにくいので、「何か思い出したかな?大丈夫だよ」と言って落ち着かせることぐらいしかできない自分のもどかしさも感じていました。



僕にとって、五感の記憶はとても素敵で大切にしたい記憶です。

今、こうして仕事を一生懸命している職員室の風景や冬のグラウンドのにおい、冬でもほんわか暖かい空気の感触など、いずれは素敵な五感の記憶になるかもしれないと、今から楽しみにしています。

遊佐 理(ゆさ おさむ)

北海道真駒内養護学校 教諭
特別支援教育コーディネーターになって3年目。特別支援教育のプロフェッショナルとして、笑顔で人と人とをつなぐことを目指して頑張っています。

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