2010.10.25
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友情の面影

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長 野村 泰介

山陽女子高校の放送部は8月に宮崎県で行われた「全国高校総合文化祭」の放送文化部門に1本のビデオ番組を出品しました。タイトルは「友情の面影-竹久夢二と星島義兵衛」。竹久夢二と彼を支えた実業家、星島義兵衛との交流を描いた作品です。

竹久夢二(1884-1934)は、岡山県出身の画家で、明治から大正初期にかけて活躍しました。美人画を得意とし、「夢二式美人」と言われたその作品は大正ロマンを代表とする人気画家でした。星島義兵衛(1885-1968)は岡山財界の重鎮であると同時に、1951年から1968年まで山陽学園理事長の職にありました。

1914年、岡山市内のカフェ「パリー」で出会い、このとき以後、夢二と義兵衛の交流は夢二が亡くなるまで約20年間続きます。その中で目を引くのが、「パトロン」としての義兵衛の顔です。岡山財界の有力者であった義兵衛は夢二に資金援助を惜しみませんでした。少ないときには数十円(それでも現在の貨幣価値で数十万円)、多いときには千円もの大金を貸しました。しかし、その多くは返済されることなく終わっています。

義兵衛と夢二の関係はパトロンと被援助者というだけだったのでしょうか?当時の関係者などの取材を進めているうちにお金だけではない二人の友情を知りました。

岡山県南部に位置する玉野市に、かつて星島家が所有していた鳴滝園という広大な庭園があります。義兵衛と夢二はそこで語り会ったり、義兵衛が上京したときには共に観劇したりしています。そこには確かな友情がありました。このことは現在残されている夢二の日記や、夢二から義兵衛宛の手紙を見てもわかります。

夢二は女性との関係や芸術に対する独自の価値観などで、当時から必ずしもプラスの評価を得ていたわけではありませんでした。それでも義兵衛は金銭的支援を続けました。

夢二の作品の中に「鳴滝図」というものがあります。星島家の「鳴滝園」を描いたものです。借金のお礼に夢二が義兵衛に描いたものであると言われています。現在、夢二と義兵衛の交流を知る人は少ないと思います。しかし「鳴滝図」は夢二と義兵衛、二人の友情の面影を残しているのです。

野村 泰介(のむら たいすけ)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。

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