2010.09.01
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懐かしマイナス40年の法則

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長 野村 泰介

最近の歌番組、昔の「懐かし映像」が多いな~と感じます。どうしてなのでしょう。制作費が安くてすむから?いやいや、視聴者が「懐かし」を求めているからなのでしょうか?それとも、自分が「懐かし」を求める年代に入ってきて、そのような番組が目につくようになったから?

さて歌番組の「懐かし映像」ですが、どの年代を「懐かし」んでいるか。最近は80年代が多いようですね。90年代などはつい最近のように思えますが、だんだんと「懐かし」カテゴリーに入ってきています。逆に古いものはどうでしょう?1970年代のものはチラホラみます。それより古くなると・・1960年代は激減します。それ以前は皆無。もはや「懐かし」ではなく「歴史」となってしまいます。

テレビ番組を構成する上での「懐かし」と「歴史」の境界線はどこにあるのか?色々な番組を見ていたところ、40年前までが「懐かし」の限界であると結論づけました。そう、1970年代までが「懐かし」の範疇で、それより古いものが「歴史」となるのです。ではその根拠は?

テレビの歌番組で「懐かし」映像を喜んでを見て、かつその番組のスポンサー購買層になり得る世代は30代~60代前半ではないでしょうか。テレビ的に「視聴率が欲しい層」です。いきおい彼ら対象に番組編成が進みます。この世代が「懐かしい」と思う時代は40年前までなのです。40年を超えると、「懐かし」ストライクゾーンがかなり狭くなります。逆に新しすぎても2000年代前半でも大きく外れてしまいます。これを「懐かしマイナス40年の法則」と名づけます。

では、なぜ我々は「懐かし」を求めるのでしょうか?私の知人がこのようなことを言っていました。「自己形成期にあたる10代~20代のころ見聞きしたものがやっぱりしっくりくる。」自分の経験からするとまさにその通り。「懐かし」はココロの安定剤になります。

最後に、この「懐かし」を求める風潮はいつごろからあったのか?1960年代後半の新聞のテレビ欄。「思い出の記憶!大正~昭和はじめの娯楽雑誌のすべて。当時の編集者に聞く」。大正時代なんて、今の我々からすると「歴史」以外考えられませんが、「懐かしマイナス40年の法則」を当てはめると、あらら、ピタリ40年前は大正末期じゃないですか!更にさかのぼること昭和初期の1931年。俳人の中村草田男は「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠んでいます。40年前は1891年。明治憲法が発布されて数年といった時期。明治時代で活気のあった時代が「歴史」に入りつつあることを象徴しています。

「懐かし」を求める感情はいつの時代でも普遍なものです。「懐かしマイナス40年の法則」という視点で見ると、新たな歴史の分析ができるかもしれません。例えば100年前の人はその40年前をどのように「懐かし」んでいたのか!またひとつ面白いネタを見つけた気がします。

野村 泰介(のむら たいすけ)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。

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