2010.05.26
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道路元標(後編)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長 野村 泰介

前回の続きです。今回は「道路元標の見つけ方」についてお話します。その前に、残存している道路元標の「現況」を4つのパターンに分類してみます。

1.歴史的遺物認定型・・・その地域の教育委員会あたりの「お墨付き」をもらってきちんと保存されているタイプです。その傍らには説明板が立っていたりします。オリジナルの場所から移設されるケースも多いようです。一番恵まれているパターンですね。

2.なんとなく流れで保存型・・・道路元標は旧内務省の告示で立てることが義務付けられたもの。昭和27年に役目を終えた後も、廃止告示が出たわけでもなく・・・なんとなく流れで地元の人に大切にされているパターンです。

3.放置型・・・2のパターンも一歩間違えれると、放置されてしまいます。道路修復のたびに埋もれてしまい、場合によっては傾いてしまい・・いつ撤去されてもおかしくありません。

4.残骸型・・・3のなれの果て。車にあたったのか、道路工事で傷ついたのか・・立っているのが奇跡の残骸。早く、助けてあげてください!!岡山から外れますが、東京都新宿区には「淀橋町道路元標」の残骸が街中に見られるそうです。

これらはまとまった記録がないので、自分の足で稼ぐしかありません。では、道路元標の場所は?

県によっては県報によってその設置場所が示されていることもありますが、残念ながら岡山県は設置場所の公表はされていません。(例外として浅口郡だけは場所を示す資料(郡告示)が残されています)カンが頼りなのです。

いったいどこに??はい。道路元標の目的を思い出してください。「その地区の道路の基準を示す」ことでしたね。つまり、その市町村の中心地に設置されることが多いのです。役場前や、県道同士が交わる交差点、丁字路など・・。こういったところが怪しい!!古地図と現代の地図を重ね、旧役場所在地にあたりをつけてみて歩き回ってみます。

しかし、その地区の古地図が見つからないときは、「元標がありそうなところ」を中心に探して見ます。それは、町役場、支所、地域サービスセンター(旧役場跡にある場合が多い)、公民館、郵便局、JA、小学校・・・これらはかつてその集落の中心にあったものばかり。地図上でこれらの位置を確認します。大きな道路の脇道の丁字路周辺にこれらが固まっていたら、ほぼそこに元標があったといっても良いでしょう。それらの場所を歩きまわっても見つからない場合は、撤去の可能性が高いです。

撤去されたもの、埋没されたものを見つけることは素人には不可能です。あとは後年の考古学者の「発掘」を待たねばなりません。川の中に遺棄されているのを「発見」したマニアもいたようですが例外中の例外。

岡山県内約400の道路元標の所在を明らかにするまで一体何年かかるでしょう?ゴールは全く見えませんが、地道に続けていきたいと思います。みなさんも「おらがむら」の道路元標を探してみてください!

野村 泰介(のむら たいすけ)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。

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