2010.05.12
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道路元標(前編)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長 野村 泰介

最近の休日は道路元標探索ツアーです。

道路元標とは、大正時代、全国すべての市町村に1基ずつ建てられた、その地区の「道路の基準点」を示す石柱のことです。 大体高さ60cmくらいで、正面に「道路元標」、正面右側面に郡名、正面左側面に町村名が刻まれています(岡山県の場合。他の県には別の規格がある)。見た目は古い墓石といった感じでしょうか?

道路元標は現在の道路交通法が施行される昭和27年まで、「岡山までOOkm」という道路標示の基準となっていました。現在は道路元標に法的根拠はなく、街の遺物として放置されていることが多いようです。

大正時代、今とちがって市町村の数が多かったですね。(しかも大部分は「村」!)岡山県内にも約400の市町村があり、(現在は27市町村)当然、元標もその市町村の数だけありました。

しかし、現在、岡山県内で道路元標が確認されているのはたったの17基。あとは一体どうしたの? 昭和27年以前(道路元標が現役の道路付属物であった頃)に町村合併し、元標に旧町村名が表記されていたため撤去されたり、役割を終えた後も、道路拡張などによって引っこ抜かれて撤去されてしまったり、交通事故などで破損しそのまま撤去されたり・・・といったことが予想されますが、役所には正式な記録がないので実態はよくわかりません。

このような現状から、「道路元標」を知る人も極めて少ないです。大正時代の道路行政の基礎になる構造物で今はやりの「近代化遺産」的価値が十分あるはずなのに、すっかり歴史から忘れられた感がありますね。

私は、その未発見の道路元標を岡山県に限定してコツコツと探しています。ネットで「道路元標」と検索すると同じような趣味の方が何人かおられます。(もっとも、全国をくまなく歩き回るような、私がとても追いつけそうもないくらいバイタリティのある方々ばかりですが・・) そういった方と情報交換しつつ、道路元標を探します。

では、道路元標はどこにあるのか?古地図にも元標の位置は記されていません。当然、道路元標に関する専門書も、自費出版されたものを除いてありません。

その探索方法はまた次回!
File1.JPG

野村 泰介(のむら たいすけ)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。

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