僕は、コーディネーターになる前、地域学習によく行っていました。
そんな中、地域学習で行った学校の先生から、目立たないけど気になる子供がいる、という相談を受けたことがありました。
その子供は、何となく学習についていけているように見えるが、それは周りの様子を見ながらついていっているだけで、本当はわかっていないことが多いのではないか、という相談でした。
僕は、その学級に4・5回ぐらい行っていましたが、相談を受けた子がどの子かも分かっていませんでした。
相談を受けて、その子の様子を少し見させていただいたのですが、恥ずかしい話、その子が何に困っているかよく分かりませんでした。
その学級の担任の先生には、正直に分からなかったことを謝り、参考になれば、とある本を紹介しただけでした。
その時思ったことは、その子のことがよく分かるのは、普段からその子と向き合っている担任の先生だ、というとてもシンプルなことでした。
専門的な知識やさまざまな経験がなくても、教室の子供たちと向き合っている時に胸をよぎるちょっとした不安感や違和感がとても大切ではないかと思っています。
また、相談を受け、支援をする方としては、その先生たちの気付きを大切にすることで、次の手だてが見えることがあります。
たとえば、その時の担任の先生は僕との話の中で「周りを見て、まねて、ついていっているので目立たない」と言っていました。
その言葉の中には、その子が周りを見る力があること、そして、周りの動きから自分に何を求められているかを見抜く力もあることが分かります。
そうすると、その子が困っていることとして「手順を整理すること、もしくは、耳から聞いた手順を保持することが苦手で、いざ行動するときに何をしたらいいのか分からなくなっているのではないか」というひとつの仮説が浮かび上がります。
もし、その仮説が正しければ、支援の方法としては、課題を理解する時間を多めに設定することや、手順がわかりやすいように黒板に書いて示すこと、または、わからないときに気軽に聞けるような雰囲気を作ることなどが有効だと考えられます。
普通学校の先生たちは、40人近い子供たちと向き合いながら授業の準備をはじめとしたさまざまな業務をしています。それに加えて、気になる子供への対応となると、その大変さは我々の想像を超えていることも多いでしょう。
そんな中でふと目に留まったこと、小耳にはさんだこと、気づいたこと、それらに解決の糸口が必ずあると思います。
すぐに具体的な支援ができなくても、気づいたことをずっと心にとどめておくことで、ある日、具体的な支援につながる可能性だってあります。
子供たちのすぐそばにいる担任の先生たちには、その気づきを大切にしてほしいな、と願っています。
今、この原稿を書いていて、具体的な支援のことについていろいろ考えられる自分に気づきました。
この2年間、僕はゆっくりながらも少しずつ成長していることを実感しました。
それと同時に、当時の僕がそのことに気づいていれば、あの子供の困り感を少しでも減らすことができたのではないか、という自責の念もあります。
今後、僕はこの思いを大切にし、これからも目の前の子供たちと向き合いながら全力で仕事をしていきたいと思います。
そんな中、地域学習で行った学校の先生から、目立たないけど気になる子供がいる、という相談を受けたことがありました。
その子供は、何となく学習についていけているように見えるが、それは周りの様子を見ながらついていっているだけで、本当はわかっていないことが多いのではないか、という相談でした。
僕は、その学級に4・5回ぐらい行っていましたが、相談を受けた子がどの子かも分かっていませんでした。
相談を受けて、その子の様子を少し見させていただいたのですが、恥ずかしい話、その子が何に困っているかよく分かりませんでした。
その学級の担任の先生には、正直に分からなかったことを謝り、参考になれば、とある本を紹介しただけでした。
その時思ったことは、その子のことがよく分かるのは、普段からその子と向き合っている担任の先生だ、というとてもシンプルなことでした。
専門的な知識やさまざまな経験がなくても、教室の子供たちと向き合っている時に胸をよぎるちょっとした不安感や違和感がとても大切ではないかと思っています。
また、相談を受け、支援をする方としては、その先生たちの気付きを大切にすることで、次の手だてが見えることがあります。
たとえば、その時の担任の先生は僕との話の中で「周りを見て、まねて、ついていっているので目立たない」と言っていました。
その言葉の中には、その子が周りを見る力があること、そして、周りの動きから自分に何を求められているかを見抜く力もあることが分かります。
そうすると、その子が困っていることとして「手順を整理すること、もしくは、耳から聞いた手順を保持することが苦手で、いざ行動するときに何をしたらいいのか分からなくなっているのではないか」というひとつの仮説が浮かび上がります。
もし、その仮説が正しければ、支援の方法としては、課題を理解する時間を多めに設定することや、手順がわかりやすいように黒板に書いて示すこと、または、わからないときに気軽に聞けるような雰囲気を作ることなどが有効だと考えられます。
普通学校の先生たちは、40人近い子供たちと向き合いながら授業の準備をはじめとしたさまざまな業務をしています。それに加えて、気になる子供への対応となると、その大変さは我々の想像を超えていることも多いでしょう。
そんな中でふと目に留まったこと、小耳にはさんだこと、気づいたこと、それらに解決の糸口が必ずあると思います。
すぐに具体的な支援ができなくても、気づいたことをずっと心にとどめておくことで、ある日、具体的な支援につながる可能性だってあります。
子供たちのすぐそばにいる担任の先生たちには、その気づきを大切にしてほしいな、と願っています。
今、この原稿を書いていて、具体的な支援のことについていろいろ考えられる自分に気づきました。
この2年間、僕はゆっくりながらも少しずつ成長していることを実感しました。
それと同時に、当時の僕がそのことに気づいていれば、あの子供の困り感を少しでも減らすことができたのではないか、という自責の念もあります。
今後、僕はこの思いを大切にし、これからも目の前の子供たちと向き合いながら全力で仕事をしていきたいと思います。
遊佐 理(ゆさ おさむ)
北海道真駒内養護学校 教諭
特別支援教育コーディネーターになって3年目。特別支援教育のプロフェッショナルとして、笑顔で人と人とをつなぐことを目指して頑張っています。
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