2010.04.30
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字が下手だったころ

北海道真駒内養護学校 教諭 遊佐 理

僕は、小学校の低学年までとても字が下手でした。
というか、枠にはまらない字を書いていたようです。
小学校時代の通知表には、「枠を意識して字を書くことが苦手である」ということが通信欄に書いてありました。

自分としては、字が下手だとはあまり思っていませんでした。逆に、とても丁寧に字を書いているつもりでした。
ただ、あまり器用ではないな、とも思っていました。
たとえば、小学2年生ぐらいまで、自分の姓「遊佐」を漢字で書くのがとても嫌いでした。
また、ちょうちょ結びも苦手で、ヒモで結ぶ靴はあまり履きたがりませんでした。その時は、「その靴がかっこいい」と言っていましたが、内心は、自分が靴ひもを結べないのが恥ずかしくて言えないだけでした。

しかし、それから1年後ぐらいに、いつの間にか枠の中に字を書けるようになり、その時の通知表にも「枠を意識して書けるようになりました」と書いてありました。

今まで、僕は、何となく器用になったのかな、と思っていました。
しかし、最近いろいろな本を読んだり、いろいろな人の話を聞いているうちに、僕が器用になったきっかけがあることが分かりました。

実は、字が下手だった頃、僕は目をあまり回せない子供でした。30回転ぐらいすれば、多少目は回るのですが、それで具合悪くなったりするどころか、逆に地面が揺れる感覚がとても楽しかったことを覚えています。
当時の僕は、フィギュアスケーターのように30回転ぐらいぐるぐる回り、そのまま仰向けに倒れて地面が傾いたような感覚を楽しむことを繰り返す、はたから見ると非常に怪しい子供でした。

その頃の僕は、前庭覚(平衡感覚)といって、自分の体の動きを感じ取る体の機能が人よりも多少鈍かったと推測されます。
自分の体がどんな動きをしているかを刺激として感じることができないと、動きを調整することが苦手になり、丁寧に字を書いているつもりでも、なぜか枠からはみ出ているということになっていたのかもしれません。

当時の僕は、ぐるぐる遊びを通して、何となく前庭覚の刺激の調整をし、そのおかげで枠からはみ出さないように字を書けるようになったと考えられます。
今まで発達とは無意味だと思っていたぐるぐる遊びが、いきなりこんな風に脚光を浴びることになるとは…。
人生、何が幸いするのかわからないものだなぁ、としみじみ感じています。


枠を意識して字を書けるようになった僕は、いつの間にかぐるぐる回る遊びをしなくなりました。
その後も依然として不器用なこともありましたが、気にするほどでもなくなりました。


字を書くのが上手ではない子供たち、特に枠を意識できていない子がいたときには、ぜひ、前庭覚、特に目を回せるかどうか調べてみてください。
もし、目を回せない子供たちがいたときには、ぐるぐる遊びまでいかなくても、マット運動やトランポリンなどいろいろな運動に取り組み、たくさんの刺激が入るようにするとよいかもしれません。


現在の僕は、前庭刺激に過敏になったのか、すぐに目を回し、そして具合悪くなってしまいます。特に、漁船などに乗ったときにはひどい船酔いに悩まされます。以前は、遊園地の回転系の乗り物がとても好きでしたが、現在はそれほどでもありません。
人間って、知らないうちに進化(老化?)しているものなんだと感じる出来事です。

そして、現在の僕の字ですが、周りからは読みやすいと評価していただいています。
ただ、いまだに枠に文字をはめることが苦手で、罫線を無視して斜めに文字を書いていることもあります。

文字は人に伝わることが大切なので、これからも人に伝わりやすい文字を書くように心がけます。

遊佐 理(ゆさ おさむ)

北海道真駒内養護学校 教諭
特別支援教育コーディネーターになって3年目。特別支援教育のプロフェッショナルとして、笑顔で人と人とをつなぐことを目指して頑張っています。

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