2010.02.05
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天使のはばたき

北海道真駒内養護学校 教諭 遊佐 理

僕は、気がつかないうちに貧乏ゆすりをしてしまいます。
今は、かなり減ってきましたが、以前は、授業中や会議中など、何かに集中している時に頻繁にしていたようです。

「ようです」と他人事のように言ってしまうのは、本当に自分では気がつかないうちにゆすり始め、気がつかないうちに終わってしまうことが多いからです。
たいがいは、周りの人に指摘されて初めて気がつきます。自分のことなのに、自分が一番わかっていないというあたり、とても不思議です。

貧乏ゆすりについて、最近、あることに気がつきました。

意識してゆすっても楽しくない。

無意識のうちにしているときには、ちょっとした開放感があるのですが、意識してゆすると何も感じません。ただ、自分のふくらはぎが揺れているな、と思うぐらいです。
これもいったいなぜなのでしょうか。不思議です。

貧乏ゆすりをする理由について、私見ですが、貧乏ゆすりで体に刺激を入力し、過剰だったり、不足していたりする感覚刺激(視覚刺激や聴覚刺激)の量を調整することで、集中力を高めているのではないかと思っています。
そのように仮定すると、意識してゆすっても楽しくないことも「刺激の量が適切ではないから楽しくない」ということで説明できます。
それ以外にも、開放感を味わう自己刺激運動のひとつ、貧乏ゆすりで体のバランス感覚を保っている、身体的な記憶が蘇っているなど、いろいろ考えられます。

それでは、どうすれば貧乏ゆすりを止められるのでしょうか?

たとえば、貧乏ゆすりをする代わりに、何か別の行動に置き換える、ということも考えてみましたが、ピンとくる代替行動が思いつきません。
現段階では、そっと教えてもらうのが一番だと、当事者である僕はそう思います。

本人が止めたいと思って意識しても直せないものは、周りから過剰に叱責されても自己評価を下げるだけという可能性が高いです。
それよりも、そっと教えてあげて、止まったらにっこり笑ってその場を離れるというだけでも十分です。
だって、本人も止めたいと思っているのですから。

貧乏ゆすり以外にも、自分ではどうしようもできないことが多くあります。
たとえば、気になるものを目にすると無意識のうちにそちらへ行ってしまったり、カッとなった瞬間に思わず手が出てしまったり、考え事をしていると髪をいじったり紙に無意味な絵を書いていたり……。

僕自身、気になる人がいると無意識にその人の言動をじっと見つめてしまい、周りの人に「そんなにじろじろ見ないの」と言われるまで気づかないことがあります。
無用なトラブルを避けるためにも、じっと見つめるのは止めようと思っているのですが、気づいたら見ているので、なかなか止められません。

子どもの動きを見て、「本人も止めたほうがいいと思っているのに、どうして止められないんだろう」と不思議に思っている方がいらっしゃると思います。その際は、ぜひ、その子の周りの環境を変えてみることをおススメします。
たとえば、気になりなりそうなものに布をかけて隠す、余計なものを机の上に出さない、子どもがもぞもぞし始めたら職員室に行ってプリントを持ってくる仕事を頼むなど、ちょっとした工夫でその子を叱責する機会が減る可能性があります。

大切なのは、自分では直せない行動を直すことではなく、その行動のせいで叱責されることを減らすことなんだと思います。

「いくら怒っても直らない」ではなく、「どうすれば怒る回数が減るかな」と考えてみてください。
小学校時代に貧乏ゆすりやよそ見で頻繁に叱責されていた僕からのお願いです。


ところで、貧乏ゆすりという名前ですが、とても暗いイメージがあり、よく指摘を受ける僕としてはとても嫌でした。
僕としては「天使のはばたき」なんておススメなのですが…。

そこまでかわいくなくても、単純に「ひざ揺らし」ぐらいにしてほしかったな、と思う今日この頃です。

遊佐 理(ゆさ おさむ)

北海道真駒内養護学校 教諭
特別支援教育コーディネーターになって3年目。特別支援教育のプロフェッショナルとして、笑顔で人と人とをつなぐことを目指して頑張っています。

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