2009.11.11
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予定調和の無い授業【前編】

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長 野村 泰介

通常、授業というものは計画性をもって進められます。生徒に何かを調べさせる授業であっても、指導する教師の考える範囲内の行動にとどまることがほとんどだと思います。

さて、私は世界史の選択授業で4名という少人数クラスを担当しています。この授業は週に3時間あるのですが、2時間は通常スタイルの授業、残りの1時間は大学のゼミ形式のような授業を取り入れています。このゼミ形式の授業では「教師である私自信も知らないことを生徒と共に探求していく」をコンセプトに進めています。現在は第二次世界大戦終戦直後のインドネシア独立戦争に関わった日本人について調べています。

色々と調べているうちに、ある文献の中に岡山市出身で、インドネシア独立戦争に関わった人がいるという記述を発見しました。その方はすでに亡くなっておりその文献に書かれている以上のことを知ることはできません。そこで、地元岡山市ということで、その方を知る方を探そう!ということを授業内で試みました。

手がかりは、亡くなったと思われる方の氏名、出生地住所、両親の名前。氏名と出生住所が判明しているので、その住所にその方の家族がいるかもしれない、と早速地図を探してみました。

しかし・・・その方が生まれたのは今から90年ほど前。当時と現在とでは地名が変わっていたのでしょうか?現在の地図から、当時のその住所の該当地点を探すことはできませんでした。

さぁ、どうする?

ここで私は生徒たちに投げかけました。
「なぜ、昔と今では地名が違うのだろう?」

「昔の地図が間違っている!」「市町村が合併した!」「もともとそんな地名はなく、文献のミスプリント!」色々な意見がでましたが、どれも確証に欠けます。

そこで私はヒントを与えました。

「住居表示って言葉聞いたことある?」

一同「????」

読者の皆様には答えを先に教えますが、1960年代から、主に都市部で街の構成をわかりやすくし、郵便物を届けやすくしたり、住所から場所の特定を容易にするために町名を変更するという事業が行われました。(現在も各地で継続中です。)これが住居表示です。

該当地名も住居表示実施によって現在は新町名に変わっていたのです。

当然、生徒たちは、地理の授業でもそのようなことは習っていませんので知りません。しかし、この関門を突破しなければ、その方にゆかりのある方の手がかりを広げることはできません。

生徒たちは次にどのようなアクションを起こしたのでしょうか?続きは次回に・・・。

野村 泰介(のむら たいすけ)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。

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