2009.10.14
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115年の伝統を背負う

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長 野村 泰介

今年は、生徒といっしょに「山陽学園新聞」という学校新聞を作る「編集部」という部活の顧問をしています。

ネット全盛の昨今、若い世代の新聞離れは深刻なもので、編集部にも部員ゼロの時代が長く続いていたようです。プロの新聞社はマスコミとして華やかなのですが、「学校で新聞発行」というのは地味なイメージを持たれていますからね。その上、昨年度末、20年以上も編集部の顧問をされていた前任者が退職され、このまま消え去っていくのか・・・と思っていたら私にその任がやってきました。

灯火の消えかけた部の再建。これが私のミッションです。まず、他の部と掛け持ちでも良いからという条件で部員を集めました。そして従来、年1~2回であった発行を月刊化。製作も業者に外注していたものを製作スピード短縮のためパソコンの新聞編集ソフトを使い、印刷も学校の印刷機で行うことにしました。

新聞を月刊化することによって生徒たちに学校新聞の存在を知ってもらい、その新聞に載ることが「ステータス」になれば、新聞製作の部員の地位も向上し、人気がでるのでは?という作戦です。

部員は全員掛け持ちながらもなんとか4人集まり、今までなんとか月刊発行を続けられています。

なぜ、新聞発行にこだわるのか?実は「山陽学園新聞」はとてつもなく歴史のある新聞なのです。

学園の歴史に詳しい研究者の方にお尋ねしたところ、新聞のタイトルこそ違うものの、戦後121号、戦前105号発行され、そのスタートは1894年(明治27年)までさかのぼることができるそうです。しかし残念ながら戦前の新聞の多くは1945年(昭和20年)6月の岡山大空襲で焼失し現存していません。

115年の歴史を持つ「山陽学園新聞」。その灯を簡単に消し去るわけにはいきません。私なりのスタイルでこれからも生徒たちの新聞発行をリードしていきたいです。学校新聞は「かっこいいんだ!」というイメージを定着させ、ゆくゆくは専任の部員を入れて自立した新聞発行をさせていきたいと考えています。

写真1枚目完成した新聞と編集部員
写真2枚目はは60年前に発行された「山陽学園新聞」
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野村 泰介(のむら たいすけ)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。

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