2009.07.22
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ピンポン伝来の地

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長 野村 泰介

山陽学園のすぐ向かいに三友寺というお寺があります。その山門の前に「ピンポン伝来の地」という石碑が建っています。え、岡山が卓球の伝来の地?

イギリス発祥のスポーツ、卓球が日本に伝来したのは1902年(明治35年)、東京師範学校の教師、坪井玄道によるもの、というのが一般的な説です。しかし、定説を覆す石碑が三友寺に建っています。

碑文には以下のような説明書きがなされています。
「旧制第六高等学校の言語学教授として明治32年に来岡した英国人エドワード・ガントレットはここ三友寺に寄宿していた。彼の義弟山田耕筰はその自叙伝『若き日の狂詩曲』の中で「義兄より作曲・エスペラント語と共にピンポンの指導を受けた」と記述している。これは坪井玄道教授が日本に卓球を伝えたといわれる明治35年よりも3年早いことである。ここに耕筰生誕120年を記念してこの碑を建立し、後世に伝えるものである。平成18年9月9日 岡山県卓球協会」

山田耕筰といえば日本を代表する作曲家。その山田が日本で最初に卓球を楽しんだとは非常に興味深い話ですね。

さて、山田耕筰とエドワード・ガントレットは山陽学園と非常に深い縁があります。山田耕筰の姉で、エドワード・ガントレットと結婚していたガントレット恒は山陽学園で英語を教えていました。(こちらも日本で最初の国際結婚と言われています)また、エドワード・ガントレットと、当時山陽学園の教頭(後に校長)であった上代淑(かじろよし)はエスペラント語を通じて交流を深めていました。学園には上代淑、エドワード・ガントレット、ガントレット恒、そして少年時代の山田耕筰が写った古い写真が残されています。

現在の山陽学園は卓球部の活動が盛んであり、卒業生の中にはプロとしてオリンピックを目指す選手もいます。さかのぼること100年以上昔に学園の向かいのお寺で一人の英国人が少年にピンポンの手ほどきをしていたということを想像すると、風で吹くようなピンポン玉の中に重厚な歴史ロマンを感じます。

写真1枚目 三友寺に建つ「ピンポン伝来の地」
写真2枚目 1900年頃撮影の古写真
写真3枚目 上の写真のアップ。左がガントレット、右が山田耕筰、左下は上代淑
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野村 泰介(のむら たいすけ)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。

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