2009.06.10
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“子”率―後編

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長 野村 泰介

前回の続きです。女の子の名前から「O子」さんが減ったのはいつごろからなのか?このような疑問を持った私は、生徒といっしょに本校の卒業生名簿を調べてみることにしました。

調べたのは1909年(明治末期)、1919年(大正時代)、1939年(昭和初期)、1959年(高度成長初期)、1979年(安定成長期)、1989年(平成時代のはじまり)、1999年(平成不況期)、2004年(21世紀突入)、2009年(今年です)。

結果は以下の通りです。データはその年の卒業生(戦前は17歳、戦後は18歳)の名前が「O子」の割合です。

年       子率
1909年   12%
1919年   46%
1939年   74%
1959年   80%
1979年   58%
1989年   49%
1999年   36%
2004年   22%
2009年    9%

結果はきれいに「生まれ年別ベスト10(女性)」を反映しました。明治末期は「ツル」「はな」「とめ」といった名前が主流でしたが、大正時代になると上流階級風の名付けが流行したのでしょうか?「O子」さんが急増します。この勢いは年を追うごとにエスカレートし、今から50年前には全体の8割となり、ピークを迎えます。その後“子”率は落ち込み、平成10年代になると急減しました。ちょうど、個性的な難読名の子がクラスに増えた頃です。

名前はそのときどきの時代背景を反映していると言われています。今回はただ単に数字を羅列してみただけでしたが、なぜ、このような結果になったのかを調べてみると面白そうです。

現在、“子“率は低くなってきていますが、私の学校をはじめ、名前記入例は依然「O子」さんが多いですね。やはりまだ生産年齢層が「O子」世代だからでしょうか?
しかし、今の子どもが成長した近い将来、名前の記入例から「O子」さんが消える日も近いかもしれませんね。

野村 泰介(のむら たいすけ)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。

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