前回の続きです。女の子の名前から「O子」さんが減ったのはいつごろからなのか?このような疑問を持った私は、生徒といっしょに本校の卒業生名簿を調べてみることにしました。
調べたのは1909年(明治末期)、1919年(大正時代)、1939年(昭和初期)、1959年(高度成長初期)、1979年(安定成長期)、1989年(平成時代のはじまり)、1999年(平成不況期)、2004年(21世紀突入)、2009年(今年です)。
結果は以下の通りです。データはその年の卒業生(戦前は17歳、戦後は18歳)の名前が「O子」の割合です。
年 子率
1909年 12%
1919年 46%
1939年 74%
1959年 80%
1979年 58%
1989年 49%
1999年 36%
2004年 22%
2009年 9%
結果はきれいに「生まれ年別ベスト10(女性)」を反映しました。明治末期は「ツル」「はな」「とめ」といった名前が主流でしたが、大正時代になると上流階級風の名付けが流行したのでしょうか?「O子」さんが急増します。この勢いは年を追うごとにエスカレートし、今から50年前には全体の8割となり、ピークを迎えます。その後“子”率は落ち込み、平成10年代になると急減しました。ちょうど、個性的な難読名の子がクラスに増えた頃です。
名前はそのときどきの時代背景を反映していると言われています。今回はただ単に数字を羅列してみただけでしたが、なぜ、このような結果になったのかを調べてみると面白そうです。
現在、“子“率は低くなってきていますが、私の学校をはじめ、名前記入例は依然「O子」さんが多いですね。やはりまだ生産年齢層が「O子」世代だからでしょうか?
しかし、今の子どもが成長した近い将来、名前の記入例から「O子」さんが消える日も近いかもしれませんね。
調べたのは1909年(明治末期)、1919年(大正時代)、1939年(昭和初期)、1959年(高度成長初期)、1979年(安定成長期)、1989年(平成時代のはじまり)、1999年(平成不況期)、2004年(21世紀突入)、2009年(今年です)。
結果は以下の通りです。データはその年の卒業生(戦前は17歳、戦後は18歳)の名前が「O子」の割合です。
年 子率
1909年 12%
1919年 46%
1939年 74%
1959年 80%
1979年 58%
1989年 49%
1999年 36%
2004年 22%
2009年 9%
結果はきれいに「生まれ年別ベスト10(女性)」を反映しました。明治末期は「ツル」「はな」「とめ」といった名前が主流でしたが、大正時代になると上流階級風の名付けが流行したのでしょうか?「O子」さんが急増します。この勢いは年を追うごとにエスカレートし、今から50年前には全体の8割となり、ピークを迎えます。その後“子”率は落ち込み、平成10年代になると急減しました。ちょうど、個性的な難読名の子がクラスに増えた頃です。
名前はそのときどきの時代背景を反映していると言われています。今回はただ単に数字を羅列してみただけでしたが、なぜ、このような結果になったのかを調べてみると面白そうです。
現在、“子“率は低くなってきていますが、私の学校をはじめ、名前記入例は依然「O子」さんが多いですね。やはりまだ生産年齢層が「O子」世代だからでしょうか?
しかし、今の子どもが成長した近い将来、名前の記入例から「O子」さんが消える日も近いかもしれませんね。

野村 泰介(のむら たいすけ)
学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。
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