2009.06.12
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自立について考えていること

北海道真駒内養護学校 教諭 遊佐 理

以前、教育つれづれ日誌において、滋賀学園中学・高等学校の安居先生が、自立についてお話されていました。

安居先生は、自身の記事の中で「しかし最近、どうも『自立』という言葉の意味そのものが曖昧なのか、人によってとらえ方(イメージ)が違うんじゃないかと思えてならない」と述べられています。

実は、10年ほど前、特別支援学校(当時は盲学校、聾学校及び養護学校と呼んでいました)の学習指導要領の中に「自立活動」という領域ができました。とはいえ、まったく新しい領域ではなく、以前から特殊学校にあった「養護・訓練」という領域の名称を変更し、内容等を修正したものでした。その当時、僕は、分掌業務で研究部の仕事をしており、新しい物好きだったので、「自立活動」について研究しよう、と思い、推進しました。

そのとき、最初に直面した壁は安居先生と同じ「『自立』ってどういうこと?」ということでした。

その当時、僕は、自立とは「自分でお金を稼いで、自分で家事や健康管理をしていくこと」だと、ぼんやりですがそう思っていました。

ただ、そうなると、僕が毎日かかわっている障害を持った人たちは、自立できない可能性が大きくなります。文部科学省「特別支援教育資料」によると、平成18年3月に特別支援学校を卒業した生徒の6割が福祉施設や医療機関、または在宅が進路となっているそうです。

そんな子どもたちは自立できないと言っていいのか?
考えれば考えるほど、自立という言葉に違和感を覚えるようになりました。

当時、いろいろな本を読んだり、テレビドラマを見たり、マンガを読んだりしながら、自立ってなんだろうと考える日々が続きました。いろんなところにヒントがあり、テニスのダブルスの試合をしながら自立についてひらめいたこともありました。

いろいろ考えた末、その後の研究の中で、「自立」をこのように考えました。
「周りの人たちとのかかわりを大切にし、周りの人たちとの関係の中で自分のできることを増やし、より良く生きていくこと」
このようにしたことで、目の前にいる子どもたちに何が必要か、若干ですが考えやすくなったことを覚えています。

それから10年ほど経った今、自立活動も定着し、「自立支援法」などの法律もでき、さまざまな場で自立という言葉を聞くようになりました。

現在、僕は、自立について
「周りの人たちとのかかわりを大切にし、人を頼りにしたり人から頼りにされたりする中で、自分のおもいやねがいを表現しながら、自分として生きていくこと」
と捉えています。
10年前考えていた「自立」とは多少の変化はありますが、周りの人たちとのかかわりを重視するという根本は変わりません。

それぞれの子どもたちにとっての自立に向け、子どもたちが思いや願いを上手に表現できるように、相手の気持ちにも思いを馳せられるように、できることが増えてみんなで喜び合えるように、何よりも「これが自分の選んだ人生」と胸を張って言えるように、指導していきたいと考えています。

とはいえ、どこまで支えるのが子どもたちの自立につながるのか、ちょっとさじ加減を変えるとその後の様子がガラッと変わることもあり、悩みながら子どもたちと向き合う日々を送っているのが現実です。

安居先生がご指摘されているとおり、僕も、自立は奥が深いと思っています。
今後も、皆さんのお話を伺いながら、いろいろ考えていく必要があると思っています。

「障害がある子どもたちも、ない子どもたちも、当たり前のように自立へのチャンスと希望があると思えるような、そんな世の中ってすばらしいな」

と思う今日この頃です。

遊佐 理(ゆさ おさむ)

北海道真駒内養護学校 教諭
特別支援教育コーディネーターになって3年目。特別支援教育のプロフェッショナルとして、笑顔で人と人とをつなぐことを目指して頑張っています。

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