2009.06.26
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お気に入りの言葉

北海道真駒内養護学校 教諭 遊佐 理

最近聞いた言葉の中で、とても気に入っている言葉があります。

「柔直」

この言葉は、書道家の武田双雲さんが、ある俳優さんのことをイメージして考えた造語だそうです。しなやかでまっすぐ。具体物で言えば、竹のような感じ。僕はこの言葉の持つ力に強く惹かれています。

最近、いろいろなところで子どもたちを見ていると、しなやかな子どもも多くいるのですが、しなやかになれない子どもが目立つようになってきたのではないか、ということに気づかされます。それも、全ての場面ではなく、ある特定の場面で「ふにゃふにゃ」になったり、かと思えば、急に「がっちがち」になったり……。

その理由について、僕は、以下のようなことを考えています。
どの時代にも、人とのかかわりが苦手な子どもたちはいたと思います。しかし、いろんな方がご指摘されている通り、現在の社会は様々な価値観が存在し、ソーシャルスキルに関して、とても複雑なルールを適用しないといけないことが多くあります。

たとえば、
「悪いことをしたときには、すぐに直接会って謝ったほうがいいけど、相手にも非がある場合には翌日にメールでやり取りしたほうが冷静になれるかもしれないし、相手との関係が希薄な場合には何も言わないほうがその後の関係がうまくいくこともある。しかし、相手の価値観やその日の気分によってはどれがいいのかは分からないので、相手の今までの行動や別の話をしたときの表情などを考慮しながら、どうするか選択する」
というルールが実際の職場でも存在します。

こういったルールを理解できない場合、「KY」となるのかもしれません。かくいう僕も、「その日の気分によって変わる」という部分を理解するのがとても苦手で、時折、場違いな発言が相手の逆鱗にふれることがあります。
高度な「臨機応変」が求められてもそれに「柔直に(しなやかに)」対応できない場合、代わりにできる行動として「自分からは何も行動しない(ふにゃふにゃ)」「人からの意見を聞き入れない(がっちがち)」になるのかな、と思っています。僕自身は、どちらかというとふにゃふにゃ派です。

僕は、自分が「ふにゃふにゃ」になっていると自覚したときには、「理想のあの人だったらどうするかな」とシミュレーションし、その人のとおりに動いてみます。動けなくなっているときにはプレッシャーに押しつぶされそうになっていることが多いので、「あのひとだったら……」と考えることで、その人から勇気をもらえます。さらに、他の人の視点(仮想ですが)を取り入れることで多少は客観的になっていると思います。

そう考えると、しなやかに対応できない子どもたちにも、「こんなときはこうすればいいんだよ」というわかりやすいモデルがいるといいのかもしれません。そのモデルは、先生でも隣の友達でも黒板に張ってあるイラストでもかまいません。その子にとって一番わかりやすいということが一番大切だと思います。

ただ、ソーシャルスキルの基盤となる社会常識が脆くなりつつある今日、僕が考えていることを実践すればすべて解決するような、単純なことでもないような気もします。
実際、僕も、「あの人だったら…作戦」で玉砕することもありますし、そもそも、その作戦があることすら思い出せないほど追い込まれていることもあります。

どうすれば子どもたちの柔直な心を育てることができるのか、いろいろ考えています。
その前に、どうすれば自分が柔直になれるのか……。

柔直への道のりは長そうです。

遊佐 理(ゆさ おさむ)

北海道真駒内養護学校 教諭
特別支援教育コーディネーターになって3年目。特別支援教育のプロフェッショナルとして、笑顔で人と人とをつなぐことを目指して頑張っています。

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