2009.05.01
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他人事ではなかった

北海道真駒内養護学校 教諭 遊佐 理

このコーナーでも執筆されていた東京都立港特別支援学校の川上康則先生は、昨年夏の真駒内養護学校で開催されたセミナーの中で「触覚防衛」をとても大切な要素として話されていました。その話を聞いた際には「あぁ、そういうこともあるかなぁ」ぐらいであまりピンとこない部分もありました。しかし、その後、自分自身のことを思い出すと、触覚防衛をはじめとする感覚の過敏性について思い当たるフシがいくつかあることに気づきました。

たとえば、僕が小さいときに、鳥肌が立つことがふたつありました。それは、散髪で頭髪に霧吹きをかけられることと、背中に聴診器を当てられることです。どちらもそれほど頻繁にはないので、我慢できましたが、あれが1日3回とかあったら暴れていたかもしれません。今も若干苦手ですが、鳥肌にはならなくなりました。

また、小さいころに苦手な音楽がありました。それは、幼稚園のときにはやっていた情報番組のテーマソングです。その音楽を聴くと心がざわめくような感覚になりました。今でも、思い出すととてもいやな感覚に襲われます。思い出しただけでも嫌になるということは、感覚の過敏性は想起されるものに対しても起こり得るのかもしれません。

それと、現在でも人ごみの中にいると頭が痛くなることがあります。特に、駅前の地下街などに行くと必ずといっていいほど頭痛に悩まされます。
昨年、東京方面へ出張し、朝のラッシュ時に品川駅にいたときも急に頭が痛くなりました。ただ単に、体調が悪かっただけかもしれませんし、おのぼりさん丸出しでキョロキョロしすぎて目を回した可能性もありますが、他人が近すぎることに対する感覚の過敏性のひとつである可能性もあります。僕は東京では生きていけそうにもありません。

今まで、感覚の過敏性は特別な人の特別なこととしか考えられませんでしたが、こんなに身近に感じることができ、今後の支援に生かせそうです。

「僕も同じだよ」って。

このように、コーディネーターになったことでつながった川上先生をはじめとする様々な人たちからは良い刺激をたくさん受けています。
ただし、それらの刺激は、いろいろな人とつながり、身近に感じることで、過敏にならずに、よい刺激として受け入れています。

感覚の過敏性を持つ子どもたちだって、同じような刺激でも心地よく感じる刺激は必ずあるはず。
今後、そのような視点で物事を見られるといいな、と思っています。

遊佐 理(ゆさ おさむ)

北海道真駒内養護学校 教諭
特別支援教育コーディネーターになって3年目。特別支援教育のプロフェッショナルとして、笑顔で人と人とをつなぐことを目指して頑張っています。

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