2008.11.19
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カウラ事件から学ぶ平和

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長 野村 泰介

山陽女子高校には、3年間で英語をコミュニケーションの手段として使いこなせるようになることを目標とした「アクティブイングリッシュコース」というコースがあり、毎年1年生は10月から1ヶ月間、全員でオーストラリアへ語学研修に行きます。私はそのコースの1年生の世界史の授業を担当しています。

2学期の授業で、オーストラリア研修の事前学習の一環として「カウラ事件」を取り上げました。しかし「カウラ事件」といってもピンとくる人はあまりいないのではないでしょうか?カウラ事件とは第二次世界大戦中の1944年8月5日に、オーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州カウラで起こった日本兵捕虜脱走事件です。捕虜収容所の脱走事件としては史上最大の人数(日本人収容者数1104名中、545名以上)と見られています。この事件による死者数は235名(オーストラリア人4名、日本人231名)にのぼっています。
授業は「カウラ事件」の概要だけでなく、なぜ、このような事件が起こったのかを、当時の時代背景と共に考えています。

そのような中で、私たちは当時、捕虜としてカウラに収容され、カウラ事件を実際目の当たりにした方に直接お話を聞くことができました。

その方は国立ハンセン病療養施設邑久光明園の入所者です。邑久光明園とはハンセン病問題学習の関連で交流がありますが、ふとしたきっかけでカウラ事件と結びつきました。

その方は大正10年生まれで現在87歳。第二次世界大戦中、ニューギニア島で捕虜となり、カウラ捕虜収容所に収容されました。収容所でハンセン病に罹っていることが判明し、隔離されていました。この隔離のおかげで脱走事件に参加されなかったそうです。その方には当時、カウラ収容所で自作したトランクや、脱走事件の際に日本兵が使用した、食事用ナイフを転用した武器などを見せていただきながら、事件の様子を詳細に話していただきました。

現在、生徒たちはオーストラリアで現地の高校生にカウラ事件についてのインタビューをしているはずです。そして帰国後の事後学習でオーストラリアでの事件観、捕虜に関するかつての日本の誤った認識などを元に平和の尊さについて更なる学習を進めていく予定です。

野村 泰介(のむら たいすけ)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。

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