教材開発―「ひと」に焦点を当ててー
今回は、今期の区切りとなる連載となります。今期は、小学校社会科学習における具体的な実践を学年ごとに紹介してきました。基本的に過去に実践したものです。しかし、社会科の醍醐味は新しい教材をつくることだと思っています。
今回は、今後教材開発をしてみたいものや、簡単な授業モデルを書かせていただきます。「授業モデル」というのは、子どもの実態が違うと役に立たないと思いますが、アイデアのかけらとして読んでいただければと思います
大阪市立野田小学校 教頭 石元 周作
やっぱり「ひと」
社会科の教材は「ひと・もの・こと」が大切だと言われています。その中でも「教材化したい」と自分の情動が大きく揺り動かされるのはやはり「ひと」との出会いです。これまでも様々な「ひと」に出会い、お話を聞くことで教材化してきました。私が感じたように、子どもにも「ひと」に出会って、「ひと」から学んでほしいと思っています。
ただ、6年生の歴史学習は、主に「過去のひと」で、直接的な出会いができるわけではありません。しかしそれでも学習の中ででてくる「偉人」を学習して味わい、歴史学習が好きな子は必ず一定数います。
だからこそ、学習指導用要領に明記され、学習する人物だけでなく、歴史において重要な人物だと思う「ひと」を学習できたらと常に思っています。授業時数をどうやって捻出するのかという課題もありますが、新しい人物を教材開発する楽しさが上回ってしまうことも多いです。
上野彦馬
今回、「こんな授業ができないか」と考え、教材開発をしたのが「上野彦馬」という人物です。以下、この人物の概要です。
時代:江戸時代末期~明治時代
生没年:1838年~1904年
業績:日本における写真の開拓者。長崎に赴任していたオランダ海軍軍医ポンぺに学び、写真の存在をしり、写真の世界にのめりこむ。スイス人のロシエ、イギリス人のベアトら外国人写真師から撮影技術を習得し、1862年に長崎で写真館を開業。武士や庶民、坂本龍馬や高杉晋作、伊藤博文などの維新の志士たちを撮影した。写真館の支店を全国に広げ、多くの弟子を育てた。1877年の西南戦争に従軍し、日本初の戦場カメラマンを務めた。坂本龍馬の一番有名な肖像は弟子が撮影したと言われている。
教科書では、明治時代になると急に人物が写真になって掲載されています。単純に「この時代から写真になったということは、写真が開発されたんだ」と思っていましたが、だれが撮影しているのかはずっと気になっていました。
3年前に授業開発で大阪歴史博物館と連携させていただきました。その時に、館長の大澤研一さんか教えてくださった書籍の中で紹介されていました。明治時代という社会が激変している中で、外国からの写真の技術を取り入れて開発していく「上野彦馬」という先人の偉大さと後世に多大な影響を与えていく面白さと文明開化という捉えができることで教材化しようと考えました。まだ構想段階です。
導入
教科書や資料集に掲載されている人物の肖像ですが、江戸時代の人物と明治時代の人物を何人か(徳川家康と徳川慶喜、家光と坂本龍馬・・など)比較して提示します。
「今、見せている人物の肖像ですが、江戸時代と明治時代では何がちがいますか?」と発問をします。提示する人物によって様々な気づきがでてくると思いますが、「絵」と「写真」という違いは明らかにわかりますので、そこを焦点化します。
「明治時代ではすでに写真ですね。いつごろから写真になったと思いますか?」「だれが撮影していると思いますか?」といったやり取りを子どもとしながら写真への興味を高めていきます。
そして「この写真に関係している人物を紹介します」といって上野彦馬を提示します。「日本における写真においての最重要人物です」と紹介して「上野彦馬は写真に関してどのようなことをした人物なのだろう?」という問いで追究していくことにします。
展開
上野彦馬の人物年表をもとに調べていきます。共有したい事実は以下のようなことです。
・長崎出身。父は火薬燃料の硝石製造の仕事をしており、小さいころから西洋の道具や家具にふれていた
・蘭学を学ぶ。特に父の死後、封鎖されていた硝石製造の仕事を復活させたいと化学を習得する
・オランダ海軍軍医ポンぺに学び、写真の存在を知り、次第に写真にはまっていく
・写真機の製作に取りかかり双眼鏡のレンズを利用した木製のカメラを完成させる。独学で感光材の研究に挑戦し、アルコール、硫酸、アンモニア、青酸カリなど様々な化学薬品を苦労して調達した。アンモニアを得るためには生肉が付着している一頭分の牛骨を土中に埋め、腐りはじめた頃に掘り返すという作業をし、においと彦馬の行動から周囲の人から「彦馬は変な人」と噂され、あげくに長崎奉行所へ訴えられたこともあった。
・1862年に日本最初の写真館(上野撮影局)を開設した。外国人をはじめとして坂本龍馬や高杉晋作、伊藤博文など明治に活躍した人をたくさん撮影している。
・多くの弟子を受け入れ、その数は数百とも数千ともいわれている。写真館での活躍だけでなく金星観測や西南戦争を撮影して有名になり、1890年にはロシア、上海、香港に弟子を派遣して海外支店を開設していった。
これらの事実を共有してから、「上野彦馬にキャッチフレーズをつけると何と表現しますか」と問います。「社会を変えた写真家」「化学から写真を生み出した商人」「写真にのめりこんだ人」「幕末の有名人をかげで支えた人」「SNSの元祖となる人物」・・・など、彦馬の生きざまを総合的な思考で表現できればと思います。
終末
終末では、「写真」が生み出されることによる社会への影響を考えるべく、「写真を見た当時の人はどんなことを思うでしょうか?」と問います。「すごすぎる」「びっくりして自分を撮影してほしいと思う」といった賞賛する意見が出るのではと思います。
そこで少し難しいかもしれませんが、「どんなことに利用できると思うでしょうか?例えば政府の人は?市民は?どんな立場の人がどんなことに利用できると思うでしょうか?」と多角的な思考を問います。
「政府の人は、自分の写真を撮って顔をおぼえてもらおうとする。いろいろな調査とか仕事に利用しようとする」「市民は、行ったことがない場所でもその場所を見ることができるから、旅行の代わりにする。記念の記録として利用するようになる」「警察が犯人を捕まえることに利用するようになる」などの意見が推測できます。
いわば、西洋の技術によって生活が変化していく文明開化としての捉えをしたいと考えます。
あくまでも授業構想なので、難しい部分も多いと思います。人物と社会との関わり、学ぶ事項との関わり(今回は文明開化)をどうつくっていくのかが一番難しいと思います。
個人的には他にも「成安道頓」(大阪の道頓堀をつくった人物)や「中島三郎助」(ペリー来航時の最初の交渉役」なども教材化したいと考えています。
参考資料
- 大澤研一 監修・伊野孝行 イラスト・笠井木々路 編集・イラスト(2021)『モブなのにすごいことしちゃった!日本史の偉人たち』朝日新聞出版
- 上野彦馬ってどんな人!?その人物像と功績に迫る - 長崎市
- 紅野謙介(1990)「書物の中の肖像写真―写真空間と文学テクストー」昭和文学研究、第21巻

石元 周作(いしもと しゅうさく)
大阪市立野田小学校 教頭
ファシリテーションを生かした学級づくりと社会科教育に力を入れて実践してきました。
最近は、書籍からの学びをどう生かせるかや組織開発に興味があります。
統一性がない感じですが、子どもの成長のために日々精進したいと考えています。
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